一橋学園大勝軒

 迷惑メールに何度も起こされながら、ともかく熟睡し、なんとか昼前に起きた。友達と会う約束があるからだ。昼高円寺でおちあい話をすませたあと、高円寺から吉祥寺へ戻る。本屋とかぶらついたりしているうちに腹が減ってきた。昼飯を喰っていないので、そりゃあ当然だ。夜まで喰わないでおこうかと思ったけど、四時すぎてさすがにたえきれなくなり、そして理由はわかりませぬが、ともかく永福町の大勝軒でラーメンが喰いたくなった。ラーメン一杯1000円以上する。しかし、2ちゃんなどでも、それを問題にする椰子はいないらしい。ホント中華ソバってかんじのラーメンです。私にとってソウルフルなラーメンは、横浜野毛界隈の中華料理屋のラーメンだけど、ここのラーメンや、くじら軒などは美味しいと思う。実は春木屋も嫌いではない。それはともかく電車で永福町まで行き、1000円以上するラーメンを喰うぜいたくは、なかなか幸せだ。
 夕方はすいていると思ったら、混んでいやがる。ならんでいたら、となりのカップルの人たちが、一橋学園の大勝軒を話題にしていた。「あそこはここの系列のなかでも、上位の店なんだ」という。エエエエエまじでつか?とぶっ飛んだ。私が最後に一橋学園の大勝軒でメシを喰ったのは、たぶん30年近く前である。そのころの大勝軒はともかくやたら量の多い店という評判の店だった。安いお金でお腹いっぱいになるということで、金のないときは大勝軒に逝った。大盛りは半端じゃなくて、ものすごい量だった。どこの学生街にもある大盛り店というイメージ。虫歯の毒が頭にまわったとかいろんな噂はあったが、おばちゃんが病気でなくなり、おっちゃんの腕にますます磨きがかかったという噂は後輩から聞いていた。あのおっちゃんも、修行が厳しいという評判の店で修行したのだろうか、今はまだ健在なのか?子どもさんとか、後継者が店をやっているのか?いろんなことが気になる。
 東京に帰ったばかりの頃、一橋学園までチャリで行き、メシを喰おうと思い、大勝軒にしようかと思ったがその時はやめた。その時は、とんかつの藤ノ木に入った。「小平なのに都心の味」というコピーもなつかしい。寮生がお金のあるときに行く店だった。豚カツを店で喰うというぜいたくをこの店で始めて覚えたンだったなぁとか思った。その時は、おばちゃんはいたが、マスターはおらず、若いあんちゃんが豚カツを揚げていた。私は、あえて生姜焼きを食べた。ここのは、肉がうすく、生姜がよく絡まっていて、抜群の風味だった。しかし、あんちゃんが炒めたのは、肉は厚いし、生姜の絡みも悪く、こおばしいカンジもしない似て非なるものだった。マスターは健康を害したのか?おばちゃんに聞こうかと思ったが、聞けなかった。誰か知っている人がいたら教えて欲しい。
 で、永福町の大勝軒でメシを喰って、店を出たら、永福町の商店街がずーっと延びている。雨はやんでいる。そして、こういう道があると、ともかく商店街が途切れるまで歩いてみたくなる。で、その道に沿って歩き出した。なかなか途切れない。で、こうなったら中央線に出るまで歩こうと思いたった。これはバス通りだし、途中五日市街道、青梅街道がある。最悪、それに沿って右に行けば環七、左に行けば環八だろうくらいのつもりだった。快調に方南通りに出た。右環七と出ている。これだと高円寺になる。今日昼間行ったしなぁ、とつまんなくなった。で、コンビニに入り、地図を見たら、左折してクネクネ行くと阿佐ヶ谷に出ることがわかった。道を十分確認して出発。どんつき大宮八幡を左折し、坂を下り、川(神田川??)を渡ると都立公園みたいなのがある。両側が広い公園。その中をバス通りが通っているが、あまり人通りがない。たまにチャリが通るがみんなやばそうな人に見えてきた。馬路怖かった。
 しばらく行くと、シブイ商店街に行き着いた。付近に駅はないはずなのに、個人商店がたくさんならんでいる。西京焼きが自慢の小さな魚屋さんだとか、洒落た店構えの小料理屋さんだとか、間口は小さいが吟味されたカンジの肉屋さんや八百屋さんだとか、なんか特徴を持ったお店がならんでいて、ワクワクするような街並みだ。とほどなく、五日市街道にでた。ここを西にずっと行けば、家の前に出る。さすがにそれはやばいだろう。たぶん10キロはある。3時間くらいはかかるだろう。で、渡って、予定通り阿佐ヶ谷を目指すはずが、道を間違えて、またもや住宅街に迷い込んだ。しかし何とか勘を働かせ、人通りの多い方へ出て、無事杉並区役所のところに出て、阿佐ヶ谷駅に着いた。かなり歩いた。足腰がガクガクだった。5キロ以上あるいたんじゃないか?で、荻窪で降りて、健康ランドに行った。「なごみの湯」というのになっていた。ちょっと改造され、露天風呂が二つになっていた。寒い冬のお風呂は湯気が真っ白で、なんかわくわくした。疲れたので、マッサージと足ツボの両方をした。とまあ、かなりぜいたくな1日だった。