中島みゆきらいぶ@LA

 中島みゆきはライブ映像をこれまでに撮らせたことがない。これは奇跡である。と、まあ、ロサンゼルスのライブアルバム録音の模様を収録した模様が放映された。歌う様子は、『夜会』とかにだっておさめられているわけだし、紅白だって出た。この番組の主旨は、だだっ広いところにセットを組んで、バンドやオーケストラを入れて、そこはスタジオで音声装置などもあってということにある。瀬尾一三とのコラボから、LA録音をするようになったみたいなことも紹介され、英語の歌詞カードというものの意味合いもわかるようなきがした。ただまあ、ますます巫女化する中島みゆきが人外にただちにダイナマイト!と理解されるかどうかは疑問で、アメリカ人ミュージシャンが「音楽に国境はない」「音楽は国際語だ」とクールに繰り返していたのが印象的だった。まあ中島みゆきにしてみれば、国際的に活躍するもへったくれもないんだろうとは思うけどね。多少は落ち着いたものの、ラジオのチャラけた雰囲気はなおたたえており、「言ってみただけなのに、86%はない話だったはずなのに、実現してぶっ飛んだ」みたいなことを言っていて、ワロタ。
 昨日みくしに、私は、36.5℃のころの「あたいの夏休み」などを別とすれば、小さい小屋でやれるような作品がすきだし、「きつね狩り」「一人遊び」「アザミ嬢のララバイ」みたいな作品が好きだと書いたけど、よく考えてみると「時代」にせよ、「世情」にせよ、「狼になりたい」にせよ、中島みゆきの曲というものは、ろうろうと歌い上げるパフォーマンスにこそ凄みがあるのかなぁとも思わないではない。手を前に掲げたパフォーマンスは、曲がすすむとともに、それなりの芝居気も出てきて、「くらやみ乙女」を髣髴とさせるような血のような真っ赤な服で、歌い上げると、コアなファンならずとも、すげぇと鳥肌もんなところはあるんじゃないかとは思う。後藤次としのロック=「36.5℃」や、YMO的なメッセージ性を排除した趣向=「悪女」などを貪欲に摂取しつつ、永井豪のマンガのように、むくむくと無軌道わけわかめな変容を遂げる中島みゆきにとり、初期の小品もひとつに趣向だったのかなぁと思えてくる。最新のアルバムでも、「傾斜」「あぶな坂」「土用波」などが採り上げられ、中島みゆきのメタモルフォーゼがアピールされている。自己模倣には陥らないという気迫が伝わってくる。
 小田和正のように、ギターとピアノだけで、観客とともにというかたちのライブとは違う、完璧にコントロールされたライブを行う意味というものは、実のところよくわからず、もしかすると瀬尾一三の作品性なのかなぁとも思う。そして、観客席とのコラボみたいなものがいいなという立場からは、ちげーんじゃないかとも思っていたけど、メッセージ性や詩句のすごさ、ボーカル技術、パフォーマンスなどを考えると、まあ外野がなんだかんだ言うことじゃないよなぁと思った。
 この番組はCSで全部やるみたい。TBSは小田和正だとかいろいろやってくれるのは、私の年代にはかなり萌えだと思う。これからも、ありえねー椰子をやって欲しい。