手帳

 朝起きて、津波のニュースを2時間近く見てしまった。ながらで、シラバスなどの雑用をこなしてゆく。久しぶりにはやし家のツケ麺が喰いたくなり、大久保へ。あぶないところだった。明日から正月休みだった。ツケ麺は、あいかわらず量が多く、しょっぱさとピリ辛さと、少しの酸味なつゆで、野太い麺をちゅるちゅる喰うと、もう至福なものがあった。うちは正月の餅をしょうゆと七味唐辛子で喰うような家だから、ここのつけ麺が美味いと思うンじゃないかと思う。しょうゆに砂糖をとかして喰うような家だと、もう少し甘めのつゆの方が美味いと思うのではないだろうか。そのあとはビデオ三昧。しばらく映画もビデオも充分には観られなかったので、休みになり、モリモリ観ている。そして、今日は今年の泳ぎ納めだ。昨日は久々で、1200メートルにしておいたが、今日は2000メートル泳いだ。
 はやし家への道すがら、ロフトによった。手帳を買おうと思ったからである。私は物心ついたときから、一応手帳というものはとりあえず用意してきた。しかし、一年間続いたことは一度もない。一ヶ月もてばいい方なのだ。一番ひどいときは、実は買ってきて開封しないまま一年たったこともある。一番続いたのは、6月まで。このときは予定を知らせるプリントなどが来るたびに、手帳に書き込み、会議やその他でも予定をかき込みなど、かなり気合いの入った使い方をしていた。しかし、出張先でなくしてちゃらだった。最大の原因は、予定がないのである。と言うよりは、予定をするのが嫌いと言った方がイイかも知れない。学生からのアプなどは、直前にメイルもらってドタアポしてもらった方が気が楽だし、飲み会などもゼミコンパをのぞけば、その日に「飲むぞ」みたいなノリの方がイイ。会議などは、ブッチしやすいが、最近は助手の方たちが予定を研究室の扉に貼って下さるので、ほぼ大丈夫である。とは言え、提出書類などが遅れ、事務の方たちなどにご迷惑かけることも多い。そのかわりやってくれと言われれば即刻する体勢はつくっている。
 もう手帳はいらないと思っていた。しかし、最近吉祥寺のロフトにたまたま行って、そこにワクワクするような手帳売り場があったのである。本屋さんなどにあるような事務仕様というよりは、ファンシーグッズ仕様などが多く、そして外国製品のカラフルなデザインは、ビジネススーツのような手帳と比較すれば、まるでプレタポルテみたいなかんじなのである。けっこう売れているとみえ、外国のメーカーも日本バージョンを出していることを知った。こりゃあまるで、ホンビーの英英辞書みたいなもんやねとか思って、一時間くらい夢中になってみていた。結局クラフト紙のノートの厚いのにビニールカバーのついたものにした。ウィークリーの覧に月のカレンダーがついていて、普通のノートみたいな場所も多いからだ。
 手帳の記事フォーマットと付録は、手帳の最大の魅力だけれども、それがとても窮屈であったりもする。そうだ。だから手帳は続かないんじゃないかな。これは昔のデータベースソフトがものすごい高価であったにもかかわらず、窮屈で窮屈で続かなかったことに似ている気もしてきた。文字ぶち込んで自在に検索編集できるパソコンは、めちゃめちゃ自由だ。システム手帳であろうが、京大カードであろうが、ルーズリーフであろうが、ちゃんちゃらおかしいだろう。野口悠紀夫先生は、すべてテキスト形式でとゆっているわけだけど、今度われらがジャストシステムがいろんな形式の文書を同一平面上で扱えるようなモンを開発したらしい。ジャストシステムから自慢のメイルが来た。ニュースにも採りあげられ、外国進出もするのら!!と吠えていた。ますます便利になる。しかし、モバイルやザウルスみたいなのに投資して、持ち運ぶようなことはしていない。
 まあ理屈はともかく手帳は続くだろうか。たぶん続かないと思う。いろいろ書いたが最大の問題は字が下手なことだ。メモしても読めないのである。結局気づいてみると一番稼働しているのは、研究用の雑記帳だ。スパイラルのふつーのノート。思いついたことを雑記する。そこに会議の案内などのプリントをはさんでいた。じゃまくさくなってくると捨てていた。その前は上等なルーズリーフを使っていたが、紙がはさめすぎて、そこが無政府状態になる。結局行き着いたのは、クリアフォルダーの援用。使途別にはさんでおくと整理はしやすい。結局計画も生活も無計画となり、手帳はアクセサリーと化す。いっそヴィトンの手帳でも買うか。