女子小中学生に蔓延する・・・

 性知識のチョー非常識という記事が、『週刊文春』に載っていたので買った。まあ要するに、性道徳の強化をベースにした言説であることは明らかなのであるが、性知識の欠如というところでひとひねりし、かつ綿密な取材でいろいろな事実を紹介しているのは、以下にもこの雑誌らしい識見だと思った。「Hしたら巨乳になる」というのには、かなり笑った。まあどんな立場に立つにしても、ともかく知識は何とかしなくてはならないことだけはたしかだろう。
 馬路ガキはなにも知らないということは、私も目の当たりにしている。昔、アルバイトで塾の講師をしていた。付近のいわゆる「番長グループ」なども来ている塾で、なかには職員室襲撃な校内暴力のグループと関わっていたような椰子が居た。平気でタバコを吸っているし、馬路ひでえもんだった。まあこっちもひでえもんで、ガキからタバコたかったりしていた。まあ、アイスとかしょっちゅうおごってやっていたし、そのくらいはくれたのである。そんな椰子らも、性知識はからっきしだった。「避妊ってどうやるんだ?」と聞くので、「そりゃあさ、事後にコーラあるだろ、あれを指でセンをしてしこたまふってさ、ブシューッと洗浄するのよ。プロはそうやるもんだぜ」とかゆうと、「メモメモ」みたいなノリになっていて、馬路あせって、ウソだと納得させるのに苦労した。ここの思い出はつきない。「成績速攻あげるにはどうしたらいいんだ?」というので、「まあ、おんなでも紹介したら特別のことを教えてやる」と言ったら、馬路塾に連れてきて「こいつやっていい」とか、わけわかめなことを言うので、さすがに怒鳴りつけた。「ばーか、オレはガキは嫌いなの。ババア連れて来いよ」と茶化したら、「じゃあおふくろに頼んでみるかな」とか、馬路で考えているので、笑ってしまったことがある。「勉強教わるためにここに来ているのだろ。ただで教われるんだよ、バーカ」と言ったら、ガキらしい笑顔になった。こうなるとけっこう勉強教えるのも楽だった。塾長がいい人で、高校へ行けないような「ワル」を好んで引きうけ、なんとかしてやるというので、評判になり、生徒もたくさん集まった。いい経験をさせてもらったと思う。めちゃくちゃだったけど、あそこにはなんか手応えがあるような気がしたのだ。アカポスが得られなかったら、ずっとここではたらくのも悪くないなぁなどと思っていた。しかし、もちろん今はこんなモンじゃないんだろうと思う。性知識のひどさや、性行為の状態はさほど劇的には変わっていないような気もするのだが、ガキはもっとわけわかめらしいのだ。
 性教育ってたいへんだろうなぁと思う。真面目に教育的に話すのは大変だ。中学の頃、生物の先生が一生懸命やっていたのを思い出す。その人は、どっかの地方のなまりがものすげかった。「精子が」というのを、「シャーシが」と言うのだ。すこぶるに熱い先生だった。「このシャーシが、卵子と」と、熱意を込め、繰り返し言う。本人大まじめ。しかし、「シャーシ」「シャーシ」というたびに、教室の空気が重くなっているのを誰もが実感した。皆笑いをこらえているのである。そこで先生の鼻がもぞもぞした、「シャ、シャーシが」。ここで全員がエクスプロージョン!!ラフター!!ギャハハハハハハ。最初に笑った私たちのところに、先生はもんどりうって飛んできて、「貴様ら、なにが可笑しい。貴様ら、なにが可笑しい。神聖なシャーシと卵子の話をしているのに。シャーシと卵子が可笑しいか?貴様ら!」。もう堪えきれずに笑い転げるしかなかった。先生が呆然と立ちつくしていたのを思い出す。ただまあ、私たちには先生の熱意は伝わっていた。
 当時はフリーセックスなんてことも言われた70年前後で、真面目に性教育が語られていた。とある友達が、魂を抜かれたような顔で、学校に来たのを思い出す。「なんだよ」と聞くと、「昨日さ、親がさ、性教育だっていって見ろと、てめぇらがやってんのみせたんだよ」。みんなことばを失った。もちろん今は、家庭用の教本も、学校教育用のも、はるかに教材も進歩しているのだと思う。専門家の人がきちんとやっているわけだし、素人がよけいなことを言うつもりはない。むしろ、現場ではこういう教育が行われているというようなことも、もっと取材して紹介してもらいたいと思った。これが言いたかったことだ。まあしかし、hin-her 体操@紅露外語のごとき爺エクゼルシースが行われるようになったら、やだよなぁ・・・。