年賀状

 今年は年賀状を24日までに出さないと1日に着かないという。着かなくったってどーでもいいのだが、やっぱむこうから来たから出したみたいに思われるのも困る場合もある。恩師とかそういう場合だ。逆に、来てから出す場合もある。つまり、「切られそう」な場合である。特に学生さんなどの場合は、すぐ切る場合も多いから、何年も続けてきた場合のみ、こちらから出すようにする。べつにかっこつけてるわけじゃない。これも思いやりだ。よくある話だけど、こっちが先に出すと、むこうが遅れてきて、じゃあ遅れて出すと、むこうが先に来たりする場合もある。そうやって何年も続いている場合もある。ともかく、早く書かなきゃと、今日一気に書き上げた。住所はタック印刷できるようにしてあるから、昨年のハガキを見て、住所訂正などをし、印刷したものをハガキに貼り付け、あと必要に応じて添え書きをする。かなり数も増えてきたので、添え書きをしない場合もある。一枚一枚住所もなにもかも手書きしていた時代もあるが、さすがにそれは無理。で、とある恩師の方法だが、デフォルトの近況報告を印刷してしまう。そこに一言二言添え書きをするだけとなる。
 マクルーハンの「メディアはメッセージ」という議論がある。これは、年賀状で言えば、年賀状を一枚一枚手書きをするか、住所だけは印刷するか、裏も印刷するか、添え書きをするか、絵を描くか、版画にするか、もっと変わった工夫をするか、それともメールで年賀状をすませてしまうか、あるいはブログに挨拶を書いておしまいにするか、それともまったく出さないかなどなど、なにをつかって(はたまたつかわないで)年賀挨拶とするか(はたまたしないか)によって、その人その人のメッセージになっているということだと、私は解釈している。こうじゃなきゃいけないという議論は、できるだけ避ける方で、どーだっていいと私は思っている。べつにハガキを出して、メイルをくれてもいい。できるだけ相手にあわせるようにはしている。出したくなさそうな人には出さない。ハガキの人にはハガキ。メイルの人にはメイル。ゼミはメーリスに流す。率直に言って一つだけ困るのは、激重の電子年賀状だ。美しく、メロディアスなものも多いけど、なかにはウイルス入りまである。あとチェーンメイルとか。
 楽しみな年賀状は誰にもあるだろう。版画やなにやらの毎年の工夫がメッセージになっているものは楽しい。同僚のT先生は、学生時代鉄道研究会で全国の鉄道を制覇した人で各駅の写真が撮ってある。で、その年その年にあわせた駅名を写真年賀状にして送って下さる。あと、写真年賀状にはいろいろな意見はあるが、私はものすごくこういうものが好きなのである。特に結婚式の写真は楽しみである。まあそれは、私が、普通の人は絶対見たくないであろうところの、結婚式のビデオなども、かなり楽しんで見れるタイプだからだと思う。夫婦が暗記するくらい見ているビデオを、チャチャ入れながら見るのはものすごく面白い。夫婦も、めずらしく一生懸命見てくれる人がいるというわけで、説明に熱が入る。そこで皮肉を言う必要もあるまい。ガキの写真だってそうだ。ムカツクとか言う人までいるけど、べつにイイジャンか。私は、ガキの書いた下手くそな絵を年賀状にするのも楽しいぞ。なんで怒る椰子が入るのかわからない。一番笑ったのは、ガキが中学くらいになるまで写真年賀状にしていた椰子。もういっぱしのあんちゃんというか、金髪のドキュンなのに、親の年賀状に登場。親もへっちゃら。かなり笑った。(・∀・)イイ!!。こう言うのが重要なんじゃないかと思うよ。オレは。