馬鹿にされた言い回し

 最近、ばか・さる・けもの本が流行っていて、馬鹿に見える話し方とかの本なんかも出はじめた。いろいろ意見はあると思うけど、私はそういうのは必ず読むし、大変面白い。最近の小論文樋口氏や女を泣かせてみたいもてない小谷野氏のものも再三味読している。まあしかし自分が書けるかと言えば書けない。芸もないし。恫喝系は苦手なのだ。よしみっちゃん(こういう意味でいいんだよね?)みたく、講義でワーグナー学生に聞かせて、毒キノコな電波仁王立ちになる芸はとても私にはない。先日すれ違ったら、微笑されていたが、ま、まさかねぇ。。。ははははは。だいぶ前「女性論と男性論」というチェーンレクチャーのコーディネーターやっていたころ、とある実用本出版社から「男性論の視点で軟弱な若者を叱りつけるような本を書いてください」と頼まれたことあるけど、ヤダ!とゆった。書けるわけないジャン。というようなこと言ったら、「書かなくてもイイ。むしろその方が(・∀・)イイ!!」などとゆわれた。そんな御無体なと思ったので、スンマソンそのうち考えときますとやんわりフェイドアウト。っつーか、自分がアホやったみたいな話はいくらでも書けるけど、逆は無理。そして、逆にこそ一般性があるというのが、面白いところである。で、もとの馬鹿に見える話し方だけど、私が実際指摘された言い回し。

「ある意味で」

 ゼミでゆったら、佐藤毅先生に「どういう意味じゃい」とゆわれた。「ある意味という椰子はアホ」ともゆわれた。この先生はけっこうこまかいことに五月蝿かった。平田清明の「社会形成論」を夢中で読んでいた頃、「上からの」「下からの」という表現をレジュメに書いたら、学問的な表現ではないと怒られた。「決して論文では使うな」とも叱られた。あと、修士論文のプレゼンで1時間も話したこともあるけど、ゼミでだらだら話していたら「どーでもいいけどキミ話が長いよ」とか、「手短に話さないと馬鹿みたいだよ」とか言われた。そーいや「いよッ!!出ました!!得意の全面展開!!」っつーのもあったっけな。

「・・・という気がする」

 当時法政にいらっしゃった矢澤修次郎先生に「ニセ学生させてください」と言ったら、「ボストンに行くからダメポ」ということで紹介してもらったのが馬場修一ゼミ。論客ぞろいで、私はビビリまくっていた。まったくしゃべりませんでしたが、一年後田崎英明氏が修士に入学して、一年間ご一緒いたしまして、話す人ができた。他の人と話すのは報告の時だけ。で、報告の時連発したのが、「・・・という気がする」。田崎氏に「思いますならともかく、気がするはちょっとないんじゃないですかねぇ」と言われた。あまりにトラウマだったせいか、授業をするようになってからも、気がつくとよく言っているんだよね。「・・・という気がする」って。もっと自信がないと、言ったあと「ヒヒヒヒヒヒ」と照れ笑いみたいなのするの。ゼミ二期生の切れ者げっしぃさんに「ギャグ面白いときあるけど、自分ウケだけはいただけない」と言われてしまった。このげっしぃさんは、西荻ではちょっと知られた飲み助で、各方面にカオが利く。とある出版社の社長さんに質問に答えられたら採用してやると言われ、出された問題が次の小説の作者は?問題=『金閣寺』。げっしぃさんの解答。「足利尊氏」。これがうちのゼミで伝説ともなった「二重の誤謬」であります。わら。

「個人的な意見ですが」

 これは別に指摘されたわけではない。大学の会議などで、やむを得ず発言しなくちゃいけない場合などによく使っていた。まあ一種の処世術の類かもしれない。タモリ氏がまえに言っていた、芸能界サバイバーのコツ。どんなに人の悪口を言っても「でもいい人よ」と言い添えること。これと同じようなものでしょ。そしたら、june_t 氏のブログで言及した「かとしゅー節」炸裂したなんかの対談で、かとしゅー氏「私は個人的な意見ですとかゆうのは嫌いなのではっきり言いますが・・・」。ううううう、(・∀・)イイ!!と思ってしまった。たぶん不覚にも。断言を求める心が自分のなかにもあったか・・・。などと、抵抗しつつ、まあしかし、すべからく個人的な意見だから、言った以上てめえでてめえのケツは拭かないとダメダヨなぁなどと納得してしまったのです。
 とりあえず以上。またなにかあれば書きまする。