義肢装具士志望の青年の「勝利」

 名前を出すと、リンクを辿ってアクセスが増えるみたいだから、無記名で書く。今度のイラクの一件で『週刊文春』(11/11号)を買った。詳しく亡くなった青年の生活史が書いてあるというからだ。記事は署名記事ではなかった。
 廃坑になった炭鉱の街に生まれ育った。父は病気で倒れ大工ができなくなっていた。母が看護婦をして彼を育てた。高校を2年で退学。担任と相談して、単位を引き継ぐかたちで通信制のNHK学園へ。勉強を続けたのは、外国へのあこがれがあり、英語を勉強しようという強い意欲があった。フリーター生活に彼は入り、「いろいろな仕事がしたい」ということで、便所の汲み取り、草むしり、飲み屋、塗装、畳、運送から、ホストまでやってみた。一方介護ヘルパーとして働く。それには、看護婦の母親の強い影響があった。体を鍛え、一人旅を好んだ。生活を切り詰め、バイト三昧で250万円貯金した。彼の夢は、アメリカに渡り義足や義手をつくる義肢装具士になることだった。無償ボランティアからはじめて、技術の進んだアメリカで障碍者のために働くことを決意し、友達にそれを語っていた。記事は、戦争を目の当たりにすることと、義手義足の問題を重ね合わせ、一切の後ろ盾のない彼が、コロされたことを淡々と描いている。
 他方、6歳年上の女性とつきあっていたが、定職のない自分とつきあっていて、ずるずる行き遅れるといけないと別れたということが、書かれている。まあこういう椰子はとりあえずぶん殴っておかなきゃいけないと思いつつも、一本気はわかるなんていうのが、通常の見方じゃないかと思う。
 jibunsagashi の物語というのは、こんなところみたいだ。記事はザルカウィが義足だと言うことに触れ、そこに青年の「勝利」をさりげなく描いている。ジャーナリズムの文章として、ものすごい文章だと思った。「君さ、その程度のことでだまされちゃダメだよ」という河村望氏の皮肉な、しかしあたたかな笑顔が思い浮かぶ。こうして構築される青年の物語からみて、利害の駆け引き、道徳の駆け引きがどんなものになるか、冷静に考えてみようと思った。