五輪真弓「なんて素敵な日」を聴きながら

 今日はものすごく陽気がよかった。晴れていて、ちょっとだけブリーズ♪などと、リュックを背負ったスニーカー秋葉系おやぢがゆうのもなんだけど、世田谷線沿いを歩いた。最近のウォーキング&サイクリングのBGMっつーか、口ずさむ音楽は、東京エスムジカであったのだが、今日みたいな日はやはり五輪真弓の「なんて素敵な日」が心地よい。「人里はなれた古い茶店で1人佇む夕べ・・・遠くに見える名もない山に陽が沈むまで待ちましょう。ああ今日はなんて素敵な日。なにもかもが私をやさしくつつんでくれる」とアテクシが書くと、キモイとゆわれるのは、必定だろうが、じつは五輪のアルバムは、私が生涯最初に買ったアルバムなのである。
 おいおい演歌を最初に買ったのかなどというアホがむかしおったが、五輪はキャロルキング&その仲間などをバックにして、アルバムを出したという、とても贅沢なというか、なんでそんなことができたの?ッテ人でした。初期のアルバムには、アメリカ音楽のカバー曲も入っていた。「やさしく歌って」「青春の光と影」「イッツ・トゥー・レイト」とか。旋律は、のびる声を生かしたかったのか、やたらフラットに引っ張るものが多く、イマイチなところもあったが、「冬ざれた街」でなんかヨーロピアンテイストもだしーの、「ジャングルジム」「なわとび」「赤毛の犬」でノスタルジー路線をだしーのしているうちに、NHKの「僕たちの失敗」の主題歌となった「落日のテーマ」で多くの人に知られるに至ったんだと思う。「恋人よ」に至る作風は、「冬ざれた街」の路線で、フランスに行ってきてから、ヨーロピアンテイストのものが多くなった。むこうの言葉で歌ったりして、かなりアンビシャスだったし、そこそこペダンティックでもあったけど、初期の頃はまだまだ十二分にやりたいことがやれていたとは思わない。
 歌詞なんかもなんとなくなんとなく当たりはずれが激しくて、荒井由美ブルジョワ路線とののしられつつも、鮮明なイメージの詩をかなりの精度でつくっていたのと対照的だったと思う。「なんて素敵な日」も「曇り空」パクリじゃねぇとか、ひどいことゆわれ、悔しかった覚えがある。たぶん発表は逆なはずだけど。ぜんぜん違うと思うけどね。「中央フリーウェイ」ならまだしも。そして、「気まぐれだって怒らないでね本気で好きになりそうだから」(「曇り空」)と歌った荒井由美と、「出会ったとき、あなたとならうまく暮らしてゆけるのと思った」(「冬ざれた街」)と歌った五輪では、やはり作風や世代にズレがあると思う。「落日のテーマ」では、どこまでも果てを知らない、空のかなたに、痩せた野良犬の声がこだまするのであり、まあこれはどっちかというと、消費社会的なものとは違うように思うわけだ。
 なんか聴きたくなって、買おうかと思い、検索していたら、ソニーで一曲からダウンロードできることがわかった。で、さっそく契約した。i-Pod買おうと思っていたのだけど・・・、まあ安いし。で、久しぶりに聴いた。だいぶ記憶している曲と違う。楽しみがひとつ増えたけど、時間がなくなる。困ったモンだ。