査読・ごねドク?

 コメント覧に書こうと思いますたが、一応こっちへ。id:june_t さんのコメント『『一橋論叢』の院生論文につくレフェリーって査読に入らない、ですよね』につきまして。june_tさんの頃や、現在はわかりませぬが、アテクシたちの頃は、査読つきまくりですた。1984年、ジャストライクjune_tさんM2状態な問題とマイ独自未熟ロストラブ問題他で精神的にボロボロで放蕩していた私でありますたが、ようやく学問意欲が起こってきて「生きなおすぞ!!」と雄々しくたちあがったのでありますた!!で、ともかく修論のなかの一番マシなところを論文にしようと思って、ミルズの伝記的研究により、ミルズ社会理論のアメリカ本質論を論証する論文を書きました。
 馬鹿だったのは、『類語辞典』という辞典を買ったばかりで、やたらめったら唐文脈な文章を書いて投稿しますた。ただじゃなくてもミルズ社会学の構想っつーことで、レアールな契機、イデアールな契機というようなことを言い、議論を組み立てておりまして、私としては学部時代に勉強した哲学史の知識に基づいて展開したつもりなのに、隠れヒロマチアン疑惑などもかけられていたこともあり、査読は困難が予想されました。結果は「ダメ!」。再投稿などの指示も、一切のコメントもなく、無査読の院生紀要にまわすしかない状況で、まあそれはいいにしても一切コメントなしというのもかなりむかついて、私は編纂室にねじ込みますた。「なんでか知りたい」、「誰がレフェリーだ」、「知る権利があるはずだ」とか、真顔で迫りました。
 そしたら、コメントをくれたんですが、一方のレフェリーは、紋切り型の漢語がならんだ文体はおよそ学術雑誌にふさわしくない。そこを直さないかぎり掲載はできない。そんなコメントをくれました。もう一方のレフェリーは、ミルズの理論はアメリカではなく、ヨーロッパ起源だ。マンハイムウェーバーとの関わりを論じないで、なんでミルズ論と言えるか?というものでした。前者はまあしょうがないと思いました。後者は、査読のあり方としてどうしても納得がいかないので、「会って話させろ」と迫り、当然ダメだというものを、「会えないか聞いてみてほしい」とまで言いました。ものすごい熱意だったと思います。
 そしたら「古賀英三郎先生が会うと言っている」ということで、納得できなければとことんケンカしてやると、差し違えるような気持ちで先生の研究室に行きました。先生は「ほい!」と、真っ赤っかに添削したペーパーを渡してくれました。この話は前にしましたが、さすがにグッとくるものがありました。だけど、「ここを直して研究ノートに回せ」という言葉と、やはりヨーロッパ重視論を展開されたので、諄々と反論しました。結局生活史的な思想史論文もあるということと、ミルズのプラグマティックな本質という論点は認めていただき、ただし古賀先生がおっしゃるような伝統的なミルズ論なども注記することで、掲載する方向で再査読するということになり、再投稿して受理されました。現在こんなことやっても相手にされないと思いますが、当時は個別的な情熱に応えるだけのキャパシティが大学にあったし、そのおかげで就職もできたと思います。
 ちなみに『一橋論叢』は、商学系などではけっこう権威のある雑誌でした。で、商科大学系や旧高等商業系などの大学では、かなりのご威光が当時も残っていました。それに書いていたということで、採用先でも過分な評価をいただいたように思います。私のやったことは、無法行為なのかもしれませんが、結局難局を打開するのは熱意だと思うようになったのは、それからです。脱力系な物言いができる人って、けっこう苦労なく勉強とかができた人が多いんじゃないかなぁッテ思ったりもします。どこかでそんな自分を自信のよりどころにしている余裕のようなものを感じてしまいます。その点、ヒロシはスゴイと思いますた。「ヒロシです。ひきこもるほどお金がありません」。