スペインのブロガーからのメイル

 今日は朝から快晴だ。となれば、やはり布団干し。いまの住まいを探すとき、他に条件は付けなかったが、南向きベランダだけは譲れないセンとした。3LDK新築の物件が大学近くにあったが、あえて吉祥寺駅近く2DK築40年以上にしたのは、駅が近いこともあるけど、南向きということも大きい。ついでに掃除をした。堆積しているものを片付け、ゴミを分別。商売柄、「ざつがみ」という資源ゴミが大変多い。環境にやさしい商品開発には減税というインセンティブを大幅に認めて、分別しやすい商品が氾濫するようにして欲しい。環境ビジネスや福祉ビジネスに目が向きだしたことはいいことだと思うけど、やっぱそれだけじゃ、利権争い、既得権確保みたいなことになりやすい。新しい土俵をどうやってつくるかで、話はだいぶ違ってくるはずで、こういう問題に行きあたると、同じ環境問題サークルで、企業や、行政をめざした人々の慧眼に、脱帽するしかない。土俵づくりをすると大見得をきっていたものの、たとえば金子郁容『ボランティア』のような土俵づくりをなぞるのが精一杯だからだ。
 厚く堆積した本の下から、なくしたはずの時計が見つかった。パチンコで2500発。しかし、50000円近くする時計。何度も修理して使っている。感激ひとしお。買わなくてよかった。一段落してメイルをあけたら、大恩人の藤森俊輔先生からメイルが来ていた。この先生が岡山大学に拾ってくれた。だから研究者としてのいまがあるなどと、思い上がったことを言うつもりはない。はっきり言えば、あのとき就職できなかったら、死んでいたんじゃないかとすら思うのである。それほど私の心身の状態は悪かった。
 藤森先生は、アルチュセールマルクスのために』も、初期マルクス研究のなかで例外的に高く評価するコルニュの研究をいち早く日本に紹介し、イデオロギー的で恣意的な初期マルクス研究の精緻化をはかった。岡山に赴任されてからは恣意的でイデオロギー的なマルクス主義の階級階層論を統計調査法によって刷新しようとされた貴重な研究をされた。ふたつの研究は、断絶しているようだが、よく見ると同様の実証的なスタイルによって貫かれている。現在はなぜかスペインにいらっしゃりスペイン語の学校などに通われている。70歳すぎて衰えぬバイタリティには脱帽である。おっしゃらないが、たぶん国際協力的なお仕事もされているのではないかと拝察する。
 しかし、就職の時の私は、本当にむちゃくちゃだったと思う。−−以下の話はいろんなところで言っているけど、もう一度ここで話したい。−−応募のとき、髪は伸ばしたまま、サングラス、フルフェイスのヒゲ。要するに、横浜銀バエのリーダーっつーか、麻原尊師がグラサンかけたっつーか、そんな写真はって、履歴書はもちろん西暦、業績は二本、修論とか入れて六本くらいにした。事務から身分証明っつーから、書類をろくに確認せず、わけわかめで、これでいーかと戸籍謄本とってつけた。藤森先生からお電話。「君さ、今日人事委員会通ったんだけど、教授会の投票前に写真変える気ない?投票結果と言うよりは、来てからの人間関係もあるしさ・・・」。私は、「ちょっと考えさせて下さい。気が向いたら送り直します」とか、インクレディボーでかい態度で対応。でも、やっぱまずいと思い、速攻床屋に行き、眼鏡も買い換え、写真を撮り直して出しましたが。無事人事通過。今度は事務の人から連絡。「あんなもの(戸籍)こちらは要求した覚えはないですから。所定の形式で直ちに出し直して下さい」って、わけわかめだけど支持通りにした。事務の人はどう思っただろう・・・。
 内定がきまりアパート探し。先生はクルマを出してくれ、不動産屋さんを回った。で、2DK45000円という格安の物件を得た。その後観光旅行に連れて行ってもらい、そしてホテルで会席料理と、もう集中講義大先生接待モード。なのに私が言ったこと。「できるだけ早く東京に帰れるようにしたい」。業績二本でお情けでひろってもらい、内定後すぐそんなこと言う馬鹿ふつーいないよね。思ってても言わない。w 私は、世間知らずの天然だったから、たぶんイヤミはなかったと思うけど、恫喝されても、文句は言えない。だけど、先生は一生懸命説得した。11年にて、親が高齢化したことと、なにより教養部がぶっつぶれたから、帰ったけど、愛着を持って過ごせたのは、先生のおかげも大きいと思う。
 おそらく先生は、階級論の調査研究をつたえる後進が欲しいと思われていたに違いないと思っている。しかし、私はミルズ研究については先生の修士論文を母校の図書館でコピーし参考にするなどしたものの、実証面では手すさびというか、小手先の仕事をくり返したにとどまった。焦らず、腰を落ち着けて、地域の社会構造の研究をやっていれば、もっとちがう人生になったような気もする。藤森先生は、倉敷市の各地区の地域特性を出して、その上に階級階層研究を展開するというウルトラ実証的な仕事を進められた。こういう重厚な学風は岡大社会学の伝統とも言える。もう一人の同僚だった山口素光先生も、過疎の村を調べるのに、適当な定点観測をするのではなく、地域別にしらみつぶしにし、さらに離村者の一人一人を都市で聞き取りをするという執拗なまでの重厚な研究をされていた。そういう重厚な研究を時々ながめ、自戒としている。
 しかし、こんど先生がブログ『文赤千兵衛の日記』を始められたのにはびっくりした。有数の高齢者ブロガーであろう。高齢とか関係なく、匿名でブログをやられている。若々しい筆致である。「6日書くと、次の日に書き込んでも受け付けてくれません。今まで書いて、画面に出てきたのは、カレンダーをクリックすると溜まっているようですが、「最新の日記」には書けなくなってしまいました」とおっしゃるのだが、私にはよくわかりませぬ。