はてなのテーマ

 今日は休日なのでジムのプールは使えない。市民プールに行けばいいのだが、雲行きが悪いし、ちょっと遠いので、雨が降るとめっさキツイ。以前は真冬でも、みぞれでも、毎日市民プールまで行っていた。自分でもバカじゃないかと思うんだけど、行かないと不安になる。まあそれで、近くにジムができて、そこに行くようになったのだ。私は、習慣になるとそれに依存する傾向がある。中学高校の6年間ほぼ毎日ピーマンのソテーを弁当のおかずに入れてもらったり。高校3年間ほぼ一日も欠かさずニンニク山盛りの焼きうどんを喰ったり。最近では毎日ライトコーラを飲んでいる。フロムの本を読んで複雑な気分になった覚えがある。
 ブログは、そういうのと比べると書かないと不安とかそういうことはない。書き殴って、ケロケロになったら、底つき感のなかになにかが見えてくるかもしれない。言い散らかすことで、言わなきゃいけないことの骨格が見えてくる。話す場合も、書く場合も不思議に書かない勇気がもてるようになった。ブログの効用だと思う。
 みんなきれいにブログのデザインをしていて、サイドバーとかに細心のタイトルやアンテナを表示している。私はそういうのは勉強するのがめんどくさいから、必要最小限しかしない。今日、ひょんなことからタイトルを目次にして、日記に表示する方法を知った。それで、全部の目次を表示しようとしたのだが、どうも最初の方は出ないみたい。やっぱ月別とかにタイトルが一覧できたほうが、私のように簡易データベースみたいにつかっている場合はありがたい。提案したいがどこにしたらいいかわからない。見ている人でわかったら是非どこかに言っておいて欲しい。
 それで面白くなって、サイドバーなんかも実はいじってみたが、カレンダーとか重なっちゃって、ひどいことになった。上手く設定できない。簡易設定のインスタント設定だと、個人的に設定しているバーナーだとかが表示できない。なんか本とか買ってこないとできないのかもしれないけど、底まではめんどうなのでやめた。で、帰宅してからは、テーマをいじっていた。色々やってみたけど、どーにもめんどうだ。あっとゆうまに時間がたった。ううう。時間の無駄をしてしまった。ともかくこういうことに時間を使うのはものすごくいやだ。ホームページもめったに更新しない。授業のプリントを公開しているが、これはブログ感覚でアップできるような工夫をしている。
 まあしかし、デザインがきれいな方がイイのかなぁと思う。卒論なんかも、他ゼミのものは統計表とかを上手に取り込んでワードに貼り付けてある。しかし、うちのゼミは切り貼りでいいと言ってある。そんなことで点を決めたくないからだ。、そうしたら、一度「引用を貼ってもいいですか」と聞きに来たのがいる。つまり長い引用文を撃ち込むのではなく、切り貼りですませようと言うのだ。「バカモン!」と言いそうになって、グッと言葉を飲み込んだ。実は私は修論でも、博士課程単位取得論文でもそれをやっていたからだ。修論は文献目録。
 ミルズの文献目録は、ホロビッツの完全版があって、しかも入手できるものはすべて集めてあったから、目録は切り貼りした。イイ度胸していたと思う。ただね、手抜きじゃないの。当時は手書きだったから、貼った方がきれいなわけ。で、かわりに文献解題をつけた。つまりすべての二次文献などに解題をつけたのだ。こういう自慢話はよく学生にしている。一人だけ、卒論に文献解題をつけたのがいる。ドイツ語でシュッツとジンメルを読んで卒論を書いた人だ。うちのゼミにはめずらしい力作だったと思う。
 まあ修論はそういうことなんだけど、単位取得論文はひでかった。だって、馬路本文切り張りしたんだから。つまり、12月に急に就職が決まって、書かなきゃってことになった。最初は、大衆論の座標みたいなことで、所説の整理などを書いていった。しかしさすがに間に合わない。で、秋にやった学会報告のなかみなんかを最後の方に貼り付けていった。就職を紹介してくださった古賀英三郎先生に提出後会いに行ったら、「後半になって、時間がないのがわかったよ」と笑っていた。ビクビクしていた私はホッとした。まあ、急に決まった場合はけっこう許されるということは聞いていた。活字化した論文を二本貼り、その間に何枚か原稿を書き足しただけのものもあるなどと噂になっていた。まあうちの卒論でそんなのだしたら、100%落ちるだろう。
 しかし、めちゃくちゃなことやったなぁと、あらためて驚いた。母校の卒論はもっとすごい。教員提出だったから、出さないで卒業したとか、出さないで優とか、そういう噂があった。ゼミの友達は、全体が一章しかないの。思想史のゼミなのに、財政学かなんかの卒論だしたのもいるし。ひどかったなぁ。山本コータロー氏は、南博先生にギター引いたらとおしてやるとか言われ、一念発起して『吉田拓郎論』を書いたという話は有名だよね。そんな母校も今は事務提出になり、シビアなものになっているらしい。私は実は卒論はかなりちゃんと書いた。ウソだと言うだろうけど、馬路。昔は卒論とか修論とかみんな図書館に残っていたんだけど、今はないんだろうね。今度行って、見せてもらおうかなぁ。なんか勇気が出るかも知れないし。卒論ってそういうものだと思う。だから、私は全部研究室に保存してある。随分前に、卒業生が一人亡くなった。なくなる直前に卒論を見に来られた。見に来たのは、まったく偶然だが、思い記憶となっている。