想像力と間−−間の社会学2

 夕方まで仕事して、一時外出して、友人とメシ@高円寺。そのあとまた研究室に帰り、九時すぎまで仕事をし、プール。帰宅してワールドカップ戦があったことを知る。公務の連絡がきていたので所用をすませ、うだうだプロ野球の動静を確認した。ブログを書こうと思って、考えてしまうのは、今日も「間」の問題である。想像力の間という論点が、こびり付いて離れない。私の卒業論文は『「科学」フェティシズムと創造的想像力』、修士論文は『反省と想像力』という題名で、想像力の問題は考えつづけてきたことである。
 奥野健男『間の構造』について、バシュラールとの関係のみを強調したが、奥野はバシュラールを批判した上で関係素の概念を提起しているし、さらにそれを自らの文芸評論の問題と結びつけようとしている。奥野における「間」は、武智鉄二の「間」と似通ったところがある。奥野はもう少し抽象的な次元で、二つの要素のぶつかり合いとして、これをとらえる。その典型例として奥野があげるのは、室生犀星の詩である。奥野のこの著作は、室生犀星「寺の庭」の引用から始まる。

 つち澄みうるほひ

 石蕗の花咲き

 あはれ知るわが育ちに

 鐘の鳴る寺の庭

水や大気といった「澄み」の要素とは反対の「濁り」の要素としての土。この二つのぶぶつかりあいのなかに、室生犀星の作品宇宙がたちあがる。異質な元素、要素のぶつかりあい。その反発、闘争、吸引、宥和、共鳴、結合などの境に、詩的想像力、詩的イメージは、突如劇的に生起し、浮かび上がる。バシュラールはこれを空、水、火、大地という物質的想像力の四要素から説明しようとする。奥野は、バシュラールから受けた啓発を認める。しかし、現象の背後に本質を見ようとする思考枠組みへは違和感を表明する。そして、精神分析などに影響を受け、本質の探求を行っていた過去をみとめ、三島由紀夫の発言を紹介している。これは、奥野の「間の構造」論のもう一つのモチーフである。

 君はな内部とか、深層とか、どろどろしたアモルフだとかが好きで、それをこそ本質と考えている。しかしぼくは表面、サーヘスしか信じない。表面こそ本質であり、表面にだけ詩や文学がうまれるのだ。精神分析学や民俗学は折角美しい表面をこわし、あおみどろのどぶ泥をかきまわして、文学作品をこわすだけだ。

 要素と要素の接触の場は、表面であり、界面である。そう奥野は考え、界面科学、境界の科学として、想像力論、「間」の議論を構想している。ここで奥野は、レヴィ=ストロースを引用する。

 「構造」とは、要素と要素間の関係とからなる全体であって、この関係は、一連の変形過程を通じて不変の特性を保持する。

 要素と要素間の関係とを同一平面においている点にある。−−形式と内容の間には恒常的な関係が存在する。

 構造は「不変」の概念であり、他の一切が変化するときに、なお変化せずにある。

 「構造」と呼ばれるものと「体系」と呼ばれるものとの違いは、「変形(変換)」の概念であり、体系もやはり、要素と要素間の関係とからなる全体と定義できるが、体系には変形が可能でない。体系に手が加わると、バラバラになり崩壊するが、これに対し、構造の特性は、その均衡状態になんらかの変化が加わった場合に、変形されて別の体系になる。(レヴィ=ストロース『構造・神話・労働』みすず書房
 奥野は、「構造主義再考」の顔の例も引いている。顔の個別性をなしているのは、目、鼻、クチビル、耳・・・などの要素ではなく、要素間の関係である。これに対し、バシュラールは、目、鼻、クチビル、耳・・・の要素に詩的想像力の源泉を見いだした。そう奥野は言う。でもって要素間の関係を関係素という奥野の用語に対応させる。馬路かよ、っていうカンジもする。奥野は、要素と要素間の関係を同一平面におけるのかという判断は保留というか、問題の埒外だと言っている。そして、バシュラールの、四つの要素を組み合わせて使うのら、と主張する。でもって、二つずつの関係が六つで、二つ以上が・・・と順列組み合わせのすーがくを使って計算する。ほんで、ふたつずつを関係素とボクは呼ぶけどこれが六つでしょー、二つ以上を副関係素と呼ぼう・・・でもって、二つのイメージが衝突し、さらにそれが組み合わさって、詩的想像力がふくらんでゆくのら!!これが奥野の主張なのら!!!筆走りまくりで、民話的な想像力まで話が行く。どうだ三島!
 これを読むたびにヴェブレンの本能論を批判し、欲求の分類論を過渡的なものと位置づけ、機能主義的な考え方を対置させるパーソンズを思い出す。高城和義、磯部隆の二人は、若い頃の論文で、ヴェブレンやパーソンズの研究に基づき、ヴェブレンからパーソンズへの移行を「決定論から操作論」へと呼んでいる。パーソンズは、−−小室直樹師お得意の説明で言えば−−バーコフ=サムエルソンモデルを(・∀・)イイ!!と思いつつも、なんともむりぽ*1ということで、二つずつ組み合わせて、+ → こんな図式をいわゆるひとつの「ミンジン分割」する手法*2を考えたわけだけど、これはなんか奥野の議論と似てると思うんだけどね。AGILとか。*3むかし、この4象限図式をウルトラマンショワッチな図式を描きますと・・・とかゆって、怒られたわなぁ。まあしかし、こうなると想像力論って、要素の組み合わせの議論に解消されちゃうみたいだけど、そうもいかねぇんじゃないかなぁ・・・どーかなぁ・・・。
 奥野の提起するもう一つの論点は、「間」の議論は、「人間」からも来ていると言うこと。ここに関係素の起源を求めている。この議論が出たのは、1980年だから、間人主義より先。船舶振興会の御大は、詩吟なんかを通じて、さかんに「じんかん」論を説いていた。さすがに奥野は、これとは違うと一線を引いている。まあただ、言っていることはそこそこ似ている。*4要は、「人と人の間」が大事なんだということ。さらに、とき、ところ、ひと、この世、英語のtime、space、man、societyは、時間、空間、人間、世間とすべて、「間」であわらされるのら、日本人の「間の構造」、関係への感覚は研ぎ澄まされているのら、とゆう。そこで、関係素を思いついたんだYOとも。  で、時間、空間、人間、世間などと関わらせて、「間」を仮説的に論理化することを試みている。*5「家」と文学という主題からシフトして、<都市>という問題に照準していることを宣言して、ちゃんちゃん。三島に白旗あげてないんだよね。「バシュラール的深層意識的土俗の元素の関係素」の問題と関わらせるっつーんだから。同一平面にある要素と要素間の関係の問題はどこに逝ったンだよと、ツッコミ入れたくなるけどね。「時間」の文章がなかなか美しいので引用しておく。
 時という直線上を流れ行く概念を、過去から現在そして未来へと向かう一次直線的な指向を、現在の瞬間、瞬間の点の連続の線ととらえず、“間”ととらえるのは絶妙な感覚であり、思考である。時にはじめがあり、終りがあるという沙漠民的、一神教的な感覚、つまり神がつくり給うた絶対の運命とも、また時をインドや農耕民的な無限に循環し、繰り返す円環的なものとも考えず、“間”としてとらえる。つまり過去から未来へと向う永劫の中での、あるいは無限に循環する繰り返しの中での自分が生きられ、自分が体験し、認識することのできるその中の有限の“間”として時を、時間としてとらえる日本人の現世的で、諦念的な、独特の“間”の思考、感覚による時間論が生まれる。
 もう走りまくりなんですが、ここに鶴見俊輔だとか、G・H・ミードとかをもってくると、なかなか面白いのであります。無理して理屈っぽい話をしましたが、わけわかめになってしまいますた。

*1:合衆国と同じくらいのコンピューターがないと、社会学連立方程式はとけないとかゆったらしいね。

*2:これによって、n変数の連立方程式を書かなくても、各象限が四分割され続けることで、擬似的な分析が可能になるってことになる。しかも、二分法は決して入れ子になるわけじゃんなく、「同一平面」にならんでいるという意味で、自在だとも言える。

*3:軸のたてかたに、パーソンズ社会学史的識見がうかがえて、わたしはむしろそっちに萌えだけど。

*4:特に浜口恵俊ほかの間人主義などとの異同を吟味することは、重要な日本文化論だろう。

*5:人称論なども展開しているけど、これはむかし宮台真司氏が『ソシオロゴス』かなんかに発表していた、人称構造論などと比較したくなった。