武智鉄二「間」を読む−−間の社会学1

 けっこう今日は充実した。充実しているかどうかは、メシを食い忘れるか、それともはやくメシになんないかいらいらするかですぐわかる。気持ちよくブログを書いている。もちろん腹ぺこりんである。ワールドダウンタウンまで、一泳ぎして、メシ食うことになる。
 間の文化論を、バシュラールの関係素と関わらせる奥野健男『間の構造』については、すでに紹介した。この議論は、存在を同定においてみる見地と、関係においてみる見地を対比させ、後者に立って有論を展開したロムバッハの機能主義有論と関わるし、そして関係の随意自在、あるいは不随意ダメポな問題を原理的に論じてゆく場合に、カギとなるとは思うけど、原理的に論じ尽くすよりも南博『間の日本文化論』のように、ゆるゆると考えてゆくほうが面白いとは思う。あるいは言うまでもなく、『社会は笑う』の続編にはずっと期待しつづけている。
 この問題を考え始めたのは、数年前に卒業したホタルイカさんの卒論がきっかけとなっている。浪曲国本武春氏から聞き取りを行い、作品を収集し、各所の談話などを整理したなかなかの力作だった。井上俊氏他の「型」論などと関わらせて、理論構成を行い、「間」という問題を考えていった。パクってしまいたい衝動もあるんだけど、まあそれはホタルイカさんが将来的にこれを研究するなんてこともあるだろうし、彼女は踊りの名取りでもあり、また地方局のアナウンサーとしてパフォーマンス&製作企画などをしていることなどを考え合わせると、それはそれで成果が期待できるわけで、同じ問題を論じるにしても、抵触しない範囲でものを考え、また独自の研究を進めるしかないと思う。そのときに議論した武智鉄二氏の「間」『定本武智歌舞伎』第5巻について、ここでは考えてみたい。
 武智鉄二氏は、生涯であったスゲ〜間として、一中節の都一梅(昭和25年没)が「心中天網島」の大長寺の段を聴いた時のことをあげている。「若紫の、色も香も、無常の風にちりめんの、あの世この世の二重まわり」という聞かせどころの部分で、「無常の風に」と歌い終わったところで都一梅は歌うのを止めてしまった。え〜〜、ッと思うか・思わぬかに、一梅は「ちりィめんのぉ〜」と歌い継いだという。ジローラモもぶっ飛ぶような「空虚」、「空間の間」、「大きな、真っ黒な、暗黒星雲のような間」を武智氏はそこに感じたという。「それは地獄を吹く風が、吹き下ろす空間」という回想は芝居がかってはいるが、言いたいことはよくわかる。武智氏はこの「間」を、九代目団十郎の次のような言葉と比較し、「間は魔に通ず」と話を括っている。

 踊りの間というものに二種ある。教えられる間と、教えられない間だ。とりわけ大切なのは教えられない間だけれど、これは天性持って生まれてくるものだ。教えて出来る間は『間(あいだ)』という字を書く。教えても出来ない間は「魔」の字を書く。私は教えて出来る方の間を教えるから、それから先の教えようのない魔の方は、自分の力で探り当てることが肝腎だ。

 「魔」として思い出すのは、田村隆一氏の『詩人のノート』である。今はなき『朝日ジャーナル』連載の論考で、大学ノート風の装丁の表紙には田村の写真があり、それがメフィスト@悪魔君初代みたいなワイルドな黒装束で海岸を散歩する姿であった。メフィスト→悪魔→魔、くだらねぇとかゆわないで。田村氏は、詩集『腐敗性物質』で、行間の断絶、断崖について、詳細に解説していてるんだよね。講談社文芸文庫版には田村氏の文章はないが、平出隆氏が独特の言葉で説明している。これも「間」だと思う。『腐敗性物質』冒頭の作品である「腐刻画」で、田村氏は自分の詩を発見したと言っている。それは、間=魔の発見であったと言えるだろう。

 ドイツの腐刻画でみた或風景が、いま彼の眼前にある それは
黄昏から夜に入ってゆく古代都市の俯瞰図のようでもあり あるい
は深夜から未明に導かれてゆく近代の懸崖を模した写実画のごとく
にも思われた


 この男 つまり私が語りはじめた彼は 若年にして父を殺した
その夜 母親は美しく発狂した

 うーん。行間の深い深い断崖は、何度みても(・∀・)イイ!!。魔かどうか、それは問題だけど、おなじような間はポピュラー文化、日常生活の中にあふれているようにも思う。私が思い出すのは、むしろマンガである。上村一夫『帯の男』における「くずれ」の襟足。西原理恵子の『まあじゃんほうろうき』。あるいは、日常の所作動作振る舞いにも、魔は見え隠れするだろう。くだらねぇ椰子が、瞬間にするスゴイ表情とか、セリフとか。クラス一のアホが言った「わざわざ」は、太宰治に魔を突き付けたのだろうか。んなことはどーでもいいけど、そういやポップな魔性が旬だよね。
 でもって問題は間=魔のエクササイズだ。そう武智氏は言う。六代目菊五郎の「保名」の踊りは、乱れた髪がハラリと額ぎわに落ちかかる。そこにも何とも言えない風情がある。しかしその間はまねもできないし、説明もできない。つまりは、不細工な言い方をすれば同定(identify)できない。そして、狙ってスゲー間は起こせない。相手にもよる。とっておきのセリフと動作で、口説き文句を繰り出しても、ギャグにもなれば、媚薬にもなる。ふりしぼった必死のセリフが、ウンコにも宝石にもなる。「間をはずす」のは「間抜けだ」って、あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃっていうのは、ワールドダウンタウン。ネタは間抜けだけど、笑えまくり。
 武智氏は、「凄い間」を体操競技ウルトラCに喩えている、成功すれば拍手喝采だが、失敗すればマットに身体を叩きつけられるようなみじめなものなのだ。それでも、あの時の感動が忘れられなくて、危険を承知でまた挑戦してみたくなる、というのが「間」の魔力なのだろう。そこで思い出すのが、梅沢富夫の「夢芝居」。男と女、からくりくられ、ほそいきずなの、糸ひきひかれ、稽古不足を幕は待たない、恋はいつでも初舞台。宇〜ん、実に(・∀・)イイ!!。
 このあと間拍子という日本音楽における西欧風のリズムの話になる。これは噂の短距離アスリート末次慎吾氏のナンバの話となる。武智氏はナンバ論も展開している人だ。で、間拍子だけど、宝暦7年(1757)に刊行された「浄瑠璃秘曲抄」で次のように言っているらしい。

 間拍子という事、間(ま)は人の歩く如し。右の足壱尺運べば、左の足壱尺、少しも長短なし。(中略)拍子は足につれ手を振る如く、右の足進む時は左の手進み、左の足進む時は右の手進む。これ陰陽の道理なり.

 これは明らかに近代音楽的な「間」ということになる。これは、九代目団十郎が言っている「教えられる間」なのだそうだ。武智氏の説によると「外来楽器」である三味線が日本音楽に導入されて、西洋音楽的な要素がそのなかに取り入れられて以降にできたということになる。そして、浄瑠璃と比較して議論を展開する。

 西洋音楽的な「間」(間拍子)を持つ三味線の音楽と、日本古来の「語り」の伝統をもつ浄瑠璃太夫の音楽とは本来相容れぬもので、この両者がある時は歩み寄り、ある時は意識的に反発しながら、「音曲」を作っていくのが太夫と三味線の関係だということが・・・見て取れるのだ。

 音階の面から見ると、太夫の側は三味線のツボにはまらないようにウキ(倍音)の音を意識的にはずす、という手法によって現れ、・・・また三味線の側から言うと、ニジリや音遣いという技術で太夫の語りの息にどう付いていくか、という形で現れるものである。

 同じようなことが間拍子(リズム)についても言える。三味線の作る間に乗ることを「糸に乗る」と言うが、浄瑠璃太夫は安易に「糸に乗る」ことはしない。・・・逆に、三味線の側から見ると、時に太夫を引っ張り・時には離れようとする太夫に擦り寄っていく必要がある、武太夫はこのことを言っている。

 日本古来の音楽のなかで、西欧的なものと、そうでないものが「間」を主張しようとすることで、「裂け目」のように突如として「魔」=「間」が生じる。「間拍子」へとおさまりをつけることと、そこからいつだつすること。意図的な破綻と、そして他方でフォルムの形成の大事さ。二つのバランスの裂け目に、間は生まれる。しかしまた、「裂け目」というおさまりも拒否されるとすれば、そこにはあやうい不安定な均衡が残るはずだ。最近のロックバンドにおける統合失調系の曲作りが、直ちに思い浮かぶ。たとえば、ZAZEN BOYSとか、ナンバーガールとか、ッテ同じか、ニャハ。
 「凄い間」と「みっともない間」というのは紙一重ナンバーガールは、さいごはわけわかめだった。人のキメのセリフをまねすることほど、見苦しいこともない。日本舞踊でも、三味線のチントンシャンで「きまる」のは「いやなこと」なのだそうだ。間にストンとはまるということと、オチがつくとどう関係しているかわかんないけど。そう言う意味では、最近のわけわかめなお笑いって言うのは、すごく実験的なんだと思う。私はわけわかめだけどね。それはともかくとして、じゃあ歌舞伎のキメはどうなのっていうと、武智流に言えば、意図的にいやなことをしたということになるらしい。

 逆に言えば、そうした定間にはまることを「いやなこと」と感じる感性が日本人の生来の感性として身体のなかに深く刻みつけられており、それが反音楽的理念としての「間」の概念を生んでいく、という課程であろうか、と推察する。こう考えれば、世阿弥の時代に「間」の概念が存在しなかった理由もあきらかであろう。

 さっさとすませるか、あるいは「いやなこと」とわかってするか。そういう洗練は、観客との呼吸において生まれるものらしい。こうした議論は、裂け目、境目、境界、2項対立、両義性などなどの議論をより豊かにしてくれるように思う。もちろん社会学がむしろ考察すべきは、日常生活、ポピュラー文化などにおける間なのだとは思うけどね。「間の社会学1」と書いたけど、2があるかどうかは不明。