ライト・ミルズと9.11以降

 朝起きて、うだうだしているうちに三時になり、なにも食べないといけないと思い、パンを買ってきて食べて、またうだうだしていたら雨が降り出し、そろそろプールに行く時間になってしまった。あいかわらず筆が進まない。ブログのように書き散らせればいいのだが、本の場合そうもいかない。ボワーッとミルズの本をザッピングしているうちに、時間がたってしまう。どう伝えたら、面白くなるんだろうか。ッテイウカ、自分自身ミルズを面白いと思っているのだろうか。
 イヤでたまらなかった時期もある。その理由は、古い、時代遅れ、やってもしょうがないなどと言われ続けたことである。言われるならまだいい。学会報告をして、質問一つでない時もあった。これは本当にツライ。言われたのは司会者に「最後になにか言っておきたいことはありますか?」って、それじゃ死刑やんけ!!などと思った。まあでも、大学院に入学して、11年目に本を出した。自信もなにもなかったけど、問題を切り分けて、論文を書きためているうちに、それなりの勇気が出た。大学院入学直後のガイダンスで、毎日6時間一つのことを研究すれば、10年も立てば卵くらいにはなれると言っていたのを思いだした。*1出してよかったかどうかはわかんないけどね。ただ、科学研究費なんかも、体系性、独創性とともに一貫性なんかも重要みたい。特に個人の場合、あっちゃこっちゃ食い散らすみたいなのより、これ一筋みたいな方がいいみたいだと聞くことは多い。
 バブルがはじけて、不況になって、不平等な時代がきて、公共性が危機になってきて、生きる指針なんかもなくなっているし、自由や倫理なんかが議論に登ることも多い。おまけに、ネオコンだとか、ブッシュが戦争おっぱじめて、チョムスキーだとか、昔の名前で出ていますみたいな人たちが発言しだしている。他方でもちろん、新しい保守主義が、歴史や公民などをめぐり、いろいろな提言をはじめている。そんな時代に、ミルズの見地でビシッとけじめとっておけみたいな人が出てきてもいいんだろうけど、出てこない。冷戦、反共の時代に、「聞けヤンキー」とミルズが仁王立ちみたいになったのと同じふうに、「聞けじゃっぷ!!」と仁王立ちになるのは、やっぱギャグだよなぁ。
 ミルズはそれなりに電波だった部分もあるけど、けっこうアメリカ人ウケする人だった。言ってみれば、民主党の副大統領候補みたいなもんね。アメリカ人ウケするディープアメリカな出自。ぢいさまは、ガンファイトで逝ったカウボーイ。マッチョな風貌。女性を「女の子」とか、「ねぇちゃん」みたいに平気で言い、親をママンとか言い、ゼミなんかも男ばっかりだったらしい。真っ黒の革つなぎきて、バイクでアーバンカウボーイ。「俺はさ、青白い東部のインテリなんか、本当はでぇきれーだけどさ、まあでも今のアメリカおかしくない?」みたいなカンジかなぁ。
 テキサス出身で、テキサス大からウィスコンシン大の大学院、それからコロンビア大の教員となった。アメリカ生活の長いある先生に「そのキャリアでコロンビアのポストを得たというのは、かなりのやり手ですね」などと言われた。まあたしかにやり手だったらしい。ガースの訳文を書きなおしてやっただけで『From Max Weber』の共訳者となり、ガースの講義ノートをもとに文章を起こして、『性格と社会構造』にしたのもかかわらず、逆アカハラまがいに共著者として筋を通したし、シルズやハワード・ベッカーや海千山千の編集者にガースがビビらされたときも、ガツンとぶちかまして、物事を有利にはこんだらしいし。
 そんなわけで、ラディカルなムネオみたいなカンジだったんだろうね。最初はそういうところにだけ関心があったんだけど、それだけでは評伝も書けないと思う。ミルズの軌跡は、ミルズの学説や思想形成に影響を与えているとは思うけどね。じゃあなにが重要かというと、そういう問題を理論的に置き換えたところ、つまりは保守主義、機能主義、ラディカリズムとが交差するところに、ミルズ社会理論の核心があるんじゃないかと思っている。まあその辺までは、はっきりしているんだけど・・・。

*1:この話を、佐藤毅氏にしたら、帰って家族で話したらしく、そのあと会ったときに「娘にさ、じゃあパパは卵にすらなってないんじゃないとか、言われちったよ。ギャハハハハ」などとおどけていたっけ。