たたきつけるように書く−−あるブックレビューから

 本日は忙しい1日だ。今日にかぎらず、9月はいろいろな雑用が山積している。たとえば目立たないが大学院入試。大学入試でも点検、袋詰めから、採点答案のチェック転記まで、厳重にやるうちの大学は、大学院入試も例外ではなく、問題提出から印刷、さらには監督、質問のための当日待機などなどいろいろな日程をこなさなくてはならない。今日は少し早起きして、まずすませたのは博物館実習の巡回指導という仕事である。教育実習、博物館実習などを引き受けてくださった学校、博物館には、教員が挨拶にうかがい、実習ぶりを見て、必要があれば指導を行う。これはどこの大学にもある仕事だと思う。向かったのは日本カメラ博物館@半蔵門である。地下鉄を降りて、いけだというトンカツ屋でブランチを喰った。この界隈で一番頻繁に客が出入りしている店を選んだ。博物館となりのランチも興味があったけど、ランチで5000円はさすがにねー。トンカツは、衣が薄いタイプで、その点は個人的にはミスマッチだけど、豚肉のおいしさはスゴイものがあった。甘みがあって(・∀・)イイ!!香りがする。銅製のでかい鍋でカツを揚げる職人の姿も、萌えるものがあった。
 風情のある都心独特の町並みを散策しようかと思ったけど、英国大使館があって、そこそこ警備しているみたいだし、職務質問とかされるとうざいから、博物館の展示を見ることにした。弟は、理工系でエンジニアをしているので、機械いじりが好きで、若い頃からライカだなんだとカメラを売り買いして、蘊蓄はものすごいものがあるけど、私はカメラなんて写るんですもウザイってカンジだし、先日買ったFOMA君もカメラがついているものの、カメラで撮ったのは一枚だけ、弟の子どもの写真のみなんだよね。そんな私でも、ここの展示はなかなかに面白かった。ラトビアのカメラがあって、あーこれは、マンガ『栄光なき天才たち』(集英社)で描かれていたよなぁみたいなかんじ。このマンガはオリンピック観戦でつねに念頭にあったマンガで、多くスポーツ選手が採りあげられている。円谷幸吉、人見絹江・・・、そしてその他報われなかった「天才」のドラマが描かれている。ミノックスをつくった人々の物語がその中にあった。絵柄は好きになれなかったけど、破調の迫力のようなものを感じて読み込んだものである。次に、「日本の歴史的カメラ」という展示をひとつひとつみていったら、弟が両親に贈ったカメラが展示してあった。フジのストロボセンサー付きというやつ。なかなかやるジャンみたいに思った。展示をあらかたみたあと、ご挨拶を行い、帰った。
 そして仕事をして、今にいたる。ようやく一休みで、研究室のソファーでごろっとして、帰路に買った『週刊新潮』(9月9日号)をめくっていると、天沼春樹「私の名作ブックレビュー 世界を震撼せしめよ!」が目にとまった。「弛緩する自分の精神に活を入れるために開く本」として採りあげられているのは、ヘンリー・ミラー『北回帰線』だ。

 1930年代の猥雑なパリの安下宿で、腹をすかせ、エロスの蛇と格闘し、あるいはからめとられながら、激しい怒りを大鍋のなかで煮えたぎらせている。淫猥な描写。遠慮ない批判精神、反抗心。プロットも構成も一顧だにしない機関銃のような言葉の乱射、あるいは思考の反乱。おそらく、たたきつけられるような文章はタイプライターで<乱射>されたのだろう。紙が焦げるような臭いがする。

 (・∀・)イイ!!。読んでみたくなるよね。『北回帰線』。でも通読するのはたいへんだよ。厚いしさ。新潮文庫のオレンジと白の地色にミラーのサインが入った装丁はなかなかに凝っているけど、活字は価格的に良心的だし、イイカンジの活字だけど、中年以降は眼鏡はずさないと読めないくらい小さいし。なんて思っていたら、天沼氏の読み方も一種のザッピングなんだね。これにはびっくりした。つまり、つねに携行し、任意のページを開いて読むのだそうだ。一冊の文庫本は護符と化す。

 「怒れ!怯むな!おまえ自身の言葉を語れ!」という声が聞こえてくるのだ。ミラーの時代よりもさらに怒りの捌け口がみえなくなって、善も悪も曖昧にはぐらかされる今、世界を震撼させ、ついでに発禁になるような本を書いてみろよと。

 怒りにまかせて、たたきつけるように書く。生命の淫猥なるほとばしり。うーん。(・∀・)イイ!!などと思いつつ、よぎったのはネオ麦茶。これって2ちゃんじゃね?ってかんじ。隠微に、R・A・G・Eをキーボードにたたきつける。迸る生命。淫猥なカキコ。プロットも構成もへったくれもない機関銃のような言葉の乱射、あるいは思考の反乱。善も悪も曖昧にはぐらかされる今、世界を震撼させ、ついでにタイーホになるようなカキコを書いてみろよと。見つかって、もうダメポ。ささやかな自己実現。性や政治の革命ごっこの標本がそこにあるなどと蘊蓄をタレ、五輪の柔道の判定に怒り狂ってサイバーテロ、9.11に興奮してツインタワーHPの掲示板にモナーのAAを貼り付ける。でも一番空っぽの怒りが横溢したのは、某新設大学のHPにアクセスし、カウンターをスタンビートさせる祭だと私は思う。ヤフーの掲示板で祭りを知り、観察を行った。最初は悠長にカチカチリロードやっていたのが、誰かがカウンターexe.を引っ張り出したサイトをつくり、速射可能になった。で、真夜中にカウンターだけが表示された画面に向かい、炎の左クリック。カウンターは嵐のようにあがり、脳内麻薬が炸裂する。時々見に行くと、なんかワンクリックで1000くらい跳ね上がっていた。2ちゃんがブームになり出した頃の話である。
 三島由紀夫も評価した、全共闘の自己カリカチュアライズみたいなものも2ちゃんにはあると思う。革命の乱痴気も2ちゃんの乱痴気も大差ない。浅田彰の「終わることも終わっている」と2ちゃんのもうダメポは大差ないかも。まあ結局なにもかも曖昧なんだよね。などと、うじうじしていると、また筆をおることになる。それよりは、一方で曖昧のニュアンスを解析し、他方で、なんつーか、「すべての奴の役に立ち方=動員」ッテことから−−もちろんあくまでも戦略的な問いかけとして−−考えてみようというのが、とりあえずの決断だったけど。もちろん「なんの役に立つ」ってことも、しっかり考えることにして。まあ、2ちゃんでしか逝けませんってこともねぇだろ、っていうのは楽観がすぎるともいえないと思うんだけど。