大先生異聞−−山岡栄市『人脈社会学』について

 大先生系ネタでいろいろ検索してみたのだが、まだブログのなかで、山岡栄一『人脈社会学』について触れられていないので、触れておきたいと思う。私くらいの年齢以上の人なら、誰でも知っている本だと思う。もしかすると、若年層は知らないのかもしれないと思い、ここに記しておきたい。この本が出版されたのは、私が大学院時代ですた。新刊案内かなんかでみて、日本人論などに興味を持っていた私としては、おお!!面白そうな本が出たなとか思って、速攻注文して買いますた。「間人主義」だとか、「文明としてのイエ社会」とか、「タテ社会」とかが問題になっていて、またさらに寺沢正晴氏の義理人情論の構想報告*1などをきいて、こういう主題にワクワクしていたこともあり、楽しみにしていて、届いたモノを読み始めてぶっ飛んだ覚えがあります。
 なぜか?ふつー、「人脈」概念を社会学的に磨き上げ、それでもって日本社会を分析した労作とか思うじゃないですか。お茶の水書房らしい、重厚な調査を踏まえた研究書。まあたしかに、科研費をとって、重厚な大規模調査を郵送法によって行い、それをまとめたものだった。ただこの本は、社会学会の人脈を分析したものだったのです。『日本社会学の挑戦』みたいに、分野別に日本社会学の現況を概括するというようなものとは違います。社会学会の[daisensei]ごとの人脈を整理している研究です。でもって、「人脈社会学」というわけです。モロ実名入り。はじめてみたときはびっくりしました。噂として、フォークロアとして、あるいは事実として、人脈が話題になることはあるでしょう。しかしこの本は、アカデミックに社会学の調査方法を使って、社会学会の人脈をちょーイイカンジにまとめている日本ではめずらしい知識社会学的な労作なのであります。
 調査票がまわってきたというある先生は、当惑しつつも、回答したとおっしゃっていました。またある別の先生は、とある[daisensei]の人脈に入っていたんですが、「こんなとこ入れられちゃったよ」などと言っておりました。なもんですから、やはり内容の概況を実名で紹介するのは、憚られます。○○人脈、××人脈などなど、存在するけど憚られるものを、本にしたというのは、著者には信念があったんだと思います。タブーみたいになっていることを、アカデミックに調査して、分析して悪いかみたいな気迫は感じるし、よく読んでみると毒電波系というわけでもない。*2
 「アメリカなんかは、なんでもかんでも調査しちゃう。日本で過激派セクトの調査なんか考えられないでしょう。アメリカはそれをやっちゃうんですよ」と、ある先生が言っていたことを思い出します。と同時にOECD『日本の社会科学を批判する』(講談社学術文庫)の解説であの矢野暢氏が次のような主旨のことを言っています。「ウェーバーの本のどの辺になにが書いてあるかをもれなく記憶している日本の社会科学者は、欧米の社会科学者を驚かせる。逆に、アメリカの学者はなんでもかんでもコンピューターに入れるのでビックリする。日本に政治の調査に来た人々が、「共産党」ということばが使われている数を数えて、インプットしていったのにはびっくりしますた」。
 みんな当惑したというのが、この本の決着という気がします。人脈本が無意味だとは思いません。一橋大学関係者で、如水会[daisensei]と話をするなんて人は、水田洋『ある精神の軌跡』(教養文庫)を読んでおくのはイイと思います。竹川郁雄氏は、これを読んでいたので、某商業系大学の先生方と話したときにものすごく話が弾んだといいます。私もそれで読んだのですが、なるほどと思いました。

*1:『日本人の精神構造―伝統と現在』晃洋書房所収。訓古学的な学説研究を嫌悪し、『国民性の研究』という大作の修士論文をまとめつつも、国民性の一般理論という論文の性格は、重箱のすみをつつくような研究が奨励されていた大学の雰囲気のなかで、落とされた。その後ベネディクトの学説研究みたいなのを書き殴って出して博士課程に進学した同氏は、学問がバカバカしくなっちゃっていたみたいだった。でも筆を折らず、主題を切り分けて、論文を発表し、著作になったのは幸いなことだった。ただし、修士論文を見た私としては、若い情熱と、丁寧な勉強を踏まえたこの論文が、今日的地点から書き直され、公刊されるのを期待している。

*2:その辺が、読書ファンとしてはイマイチもの足りないかもしれません。