社会心理史について

 プールから帰ると、『神奈川大学評論』が届いていた。院ゼミの先輩である寺沢正晴氏が勤務する大学が力を入れている総合誌で、「欲望の社会風景」という特集に「価値意識の変貌と欲望」という論考を書かせていただいた。雑記にいろいろ書いたものをまとめたようなものだが、けっこう言いたいことはくっきり言えているように思う。これは、ブログを始める前に書いた最後の文章である。そのころは、ノートやワープロに雑記を書いていて、それをまとめて論文などを書いていた。現在は、なるべくブログに書くようにしている。その方が、検索しやすいからだ。よく考えてみるとはてなって、ノートやカード替わりにつかっている部分もあるよなぁ。
 文化装置が80年代にシフトしているのに、資源動員の枠組みが旧態依然たるかたちで残っているというような、私なり社会心理史のライトモチーフを提示したかたちになっている。社会心理史という文言を著作につかっている唯一と言っていい存在が、寺澤氏と私の共通の先輩である、市川孝一氏である。市川氏のご高著『人気者の社会心理史』の書評を『読書人』に書いたときに、この社会心理史についての私なりの思いを書きとめておいた。それを引用しておく。

 本書は、著者の師である南博氏のご逝去と前後して公刊された。前著『流行の社会心理史』に続き、表題に「社会心理史」ということばがつかわれている。「社会心理史」は、南博氏が遺された重要な学問領域のひとつである。しかし、現在日本社会心理学会において、「社会心理史」はいささかマイナーな位置に甘んじている。本書の公刊自体が、こうした現状に対する問題提起になっており、そこに本書の最大の意義があると思われる。
 と言ってもおカタい本ではない。本書は、五〇年代=美空ひばり、六〇年代=吉永小百合、七〇年代=山口百恵、八〇年代=松田聖子という四人の「人気者」についての、蘊蓄を交えた、わかりやすい読みものになっている。本書の特徴は、稲増龍夫氏の『アイドル工学』と対比するとはっきりする。
 稲増氏の場合は、下位文化の先鋭な価値観も一〇年ほどすると大衆化された価値観となることに着目し、小百合、百恵、聖子を、そうした大衆化された価値観の「偶像」として考察していた。これに対して、本書は、「人気者」を支える「社会心理」の変遷を、敗戦後の混乱期・復興期、高度成長期、低成長期、バブル期と辿る「社会心理史」を提示した。著者は、クラップの社会的タイプ論を用いて、「人気者」の概念を吟味・定義している。そして、「人気者」と「人気」の織りなす史的文脈を、「人気者の社会性」だけではなく、「社会の人気者性」を視野に入れて考察しているのが、本書のユニークな特徴である。
 ただ、文中、気になった点がひとつある。それは、「『川の流れのように』を美空ひばりの代表曲のようにみなすのは全くの的はずれ」と断じられたところである。ひばりを「五〇年代の人気者」、「がむしゃらな戦後復興期の人気者」とする明快な議論に異論はない。しかし、それ以降のひばりの人気を「付け足し」と言い切るのは、批評的な断定としては面白いが、学問的判断としてはどうだろう。
 これでは一〇年ごとに区分された時代のひとつ=五〇年代に、ひばりをいささか強引に回収することになりはしないか。たとえば小百合、百恵、聖子の時代の「ひばり人気」を考えるという課題などは看却されてしまう。
 日本人は、元号の十年刻みとともに、西暦の十年刻みでいろいろなことを考えてきた。こうした十年刻みの史的表象に注目することで、歴史は日常生活の目線からとらえられることになる。ここに簡明な区分図式の最重要な意味があると思われる。著者の意図は判然としないが、そう解釈すると、図式をあまりにきれいにあてはめることは、「社会心理史」が持っている豊富な可能性を切りすてることになると思われるのである。
 「文化表象」をめぐる歴史社会学の成果などとも関わらせて、「社会心理史」の意義を吟味する必要もあるだろう。今日、文化研究では、音楽、映画、文学等々、領域ごとに議論の厳密化がすすんでいる。しかし反面、問題があまりに細分化してしまっている。昨年の社会学会では、「文化の部会では、報告者がそれぞれの研究対象への愛を語るだけで、議論がなされず終わってしまう」(稲増龍夫氏)というような指摘もなされた。これに対して、著者が構想する「社会心理史」は、南博の社会学的想像力を継承したものであり、社会心理学会の現況のみならず、社会学の問題状況にも一石を投じる可能性を秘めているようにも思われる。

 現在、構築主義構成主義といった見地と結びついて、歴史社会学がひとつのまとまりを形成しつつある。そこには強烈な方法意識と作品性を感じることができる。では、社会心理史の方法意識はなにか?作品性はなにか?なぜ社会心理なのか?そういうものを考えて行く場合に、感情、衝動、人格などとならんで、欲望や価値意識というのは、重要なキーワードであると思う。それらは南博門下の市川氏、寺澤氏、石川弘義氏、そして佐藤毅氏などが探求し続けたものである。その共通の理論枠組みとして、ミルズやミードやヴェブレンやゴフマンがあった。
 ミルズの方法は、人格などなどの社会構造的な根拠づけを問うという方法であった。そうした方法ももちろん大事だとは思うけど、衝動、感情、本能などの「社会性」というものを問い続けたミードの議論に、「心理学の時代の形成」を読み解く鍵があるようにも思っている。