ケネス・バーク『動機の文法』を読み返す2−−文化装置論ほかとのかかわり

 メシ食って、帰り、柔道でも見るかと、大学の会議室でテレビをつけたら、井上康生がかなり卑劣なジャッジもあったにせよ、一本負けした。速攻テレビは消して、研究室に戻り読書。でもって、ヤフーを見たら、敗者復活でも一本負け。うーん、かなりショックだったんだろうと思いつつ、その前も優勢勝ちとかあったし、また追い込まれるところもあり、調整不足なのかなぁと思った。でもって読書だけど、昨日からあいもかわらずのケネス・バーク。まだまだ序章。そう簡単には進まない。疲れたのでブログに書いちゃえ。どーせお笑いネタ以外は読む人ほとんどいないんだろうけどね。と思っていたら、たいして時間がなくて、あっとゆうまにプール&メシタイム。1500メートルのロング一本が日課でその後メシは、阿佐ヶ谷の福來飯店へ。勘定の時、写真コーナーをみたらビル・ロビンソンの名刺があってぶっ飛びマスタ。*1で、帰ったら阿武教子が金メダルとっていた。今だから言えるけど、無冠の帝王のまま世界選手権5連覇して欲しかった気もする。で、また本とテレビのザッピング。中心はケネス・バークだよ。それはもちろん。かっこつけて、BGM小谷美紗子って書こうかと思ったけど、ウソだぴょーん、フラッシュじゃあるまいし。
 昨日引用したところのあとには、多義性や矛盾を整然とした論理ゲームに変換する「完全主義」との対比において、多義性の弁証法をデッサンしている。

 多義性をただ多義性として暴露することで多義性を「片付けてしまう」のがわれわれの仕事であると考えるかわりに、多義性のもつ「資源」を研究し、明らかにすることこそわれわれの仕事であると考えるべきなのだ。

 この部分は、歴史学における弁証法の問題と、極私的に重なる。マルクス主義の発展段階論は、一時期において、「過去→現在→未来」という単線的な発展として捉えられることが多かったし、一方でそれは革命的能作を鼓舞するものであり、他方で単純な議論として、嫌悪されるものだった。こうした史的唯物論の単純な理解に対して、ウェーバー的な歴史観からの批判があり、再検討されたのが70年代である。たとえば、「前近代→近代」という「発展」を考える場合でも、歴史的移行には多様な可能性があり、その多様な可能性のひとつの偶然として、「前近代→近代」という移行を見るべきだという議論である。この話は、大学時代経済史概論という講義で、渡辺金一氏が半期かかって講じられた。テキストはいわゆる『社会科学方法論』。「星ひとつで何年も楽しめます」と笑った渡辺氏の顔は印象的である。*2これに対して、マルクス主義歴史学の立場から残りの半期を講じられたのが永原慶二氏であり、『ドイツイデオロギー』、『フォルメン』をテキストに、マルクス主義の基本用語を解説されるとともに、ウクラードなどの概念にも言及され、かつ望月清司氏が提起されたマルクスにおける−−単一原因の単線的図式を超える−−「複眼的視座」などをも紹介され、日本社会@アジアの考察という点で問題提起をされた。「根拠」に遡及して、弁証関係を読み解くこと、それを『資本』の論理として提起されたことは、「反省」ではなく「根拠」を核として『大論理学』(本質論から概念論への移行)を読み解くというようなこととも関わるだろうし、そこにおいてウェーバー的な諦観に一定歩み寄っているようにも思われた。バークも、Aと非Aの区分、変化を、流動的な根拠としての「基盤」から論じようとしている。

 変形が生じるのはほかならぬ多義性の領域のなかであり、実際、このような領域がなかったなら、変形は不可能と思われる。識別される際はいわば、すべてのものが混じりあう、大いなる中心をなす溶融状態のなかから立ちのぼるからだ。液体状の中心から投げ出され、表面に浮かびあがったところで凝縮したのが(事物の範疇をつくりだす)区分だ。冷えたかさぶたにも譬えられる区分をその源に返してみよう。錬金術的中心にもどった区分は元の液状にまで溶け、作りかえられ、新しい組み合わせのなかに入りこむ。そしてそこから再び、新しいかさぶた、異なる区分として表層に投げ出される。かくしてAは非Aとなる。だが、一つの状態から次の状態へ飛躍するだけでAは非Aとなるのではない。われわれはそれよりもAをその存在の「基盤」のなかに連れ戻さなければならない。この基盤こそその因果関係上の先祖なのである。われわれは、つまり、Aが非Aと同性質になる地点まで戻してやる。それから、今度はAではなく、非AとなったAとともにわれわれは表層へと再び浮かび上がる

 前半部などはマルクスが『ドイツイデオロギー』で提出している「歴史の竃」とかゆうメタファーなどを想起してしまう。「区分」「差異」「流動」などについて、洗練された論理的な意匠がいろいろと検討されている今日的な地点からすると、旧思想の残滓がいろいろと気になるところではあると思うけれど、最後の二つの文章は銘記してしかるべしと思う。哲学史、思想史などなどのなかにあるさまざまな対立的な区分も、こうした地点からとらえるわけだけど、その意図は、形而上学弁証法から、文学からなんちゃらかんちゃら全部を、「動機づけ」=「原因づけ」というところからとらえようということである。行為act、シーンscene、行為者agent、媒体agency、意図purposeを基本タームとする「劇学」dramatism は、そういったより普遍的な問題設定を行う視点として位置づけられる。
 この五つをつかうことの内実は、わけわかめだけど、まあすべからく「原因づけ」=「動機づけ」はこれから説明できるっつーことで、バークは一種の演繹論理を提起し、かつそれを歴史学とはまた別の意味での「共観的synoptic」なものだとかゆってるけど、まあ一般理論をここにみたいとは、今のところはあまり思わない。むしろ次のような問題意識に注目したい。『動機の文法』の扉には「戦争の昇華」のためにと書かれていることにも注意したい。

 筆者が始めたのはひとつの喜劇論を書き、それを人間関係の考察のよすがとすることであった。だが、競争的野心が現代社会のなかでいやがうえにも駆り立てられ増長するに至った動機であることをしみじみと感じた筆者は、この動機を超克する道は、ただただそれを非難し続けることよりも、かえってそれの評価すべきところをまず評価することのほうにあると思った次第である。というわけで、「人間の納屋庭」として考えられがちなわれわれの心理の奥底のなかに納められてあるさまざまな弱点や奇癖について筆者は注目しはじめたのであった。
 無限のヴァリエーションをとりながら展開する基本的な戦略を、そして意識的にまた無意識的にお互いを出し抜いたり、おだてあげたりするために用いられる戦略の基本構造を筆者は定式化しようと試みたのであった。これらすべての戦略上の工夫には、「君と僕」的な性格がつきまとっている。つまり、ある人に、もしくはある優位な立場に対して「指し向け」られるものであるがために、われわれはこうした工夫装置を「修辞」の名のもとにおおよそ括りとることができる。それ以外の関心事もあった。それは芸術上の表現や効果にかかわるものであり、また純粋に心理的、もしくは心理分析上の事象にかかわるものであった。筆者はこの方面の研究を「象徴」の項目のもとに分類したのである。

 二つの他著との関わりをも視野に入れつつ、バークは「動機の文法」論の位置づけを明らかにしている。それよりも、この一文はミルズの動機の語彙論と文化装置論を総合的に解釈し、バルザックに学びつつ「人間喜劇」を展開しようとした『ホワイトカラー』をひとつの事例として読み解いて行く作業を、示唆している。また、ウェーバー的なものやマンハイム的な知識社会学から影響を受けつつも、バーク、デューイ、ミードの影響を受けたミルズの理論形成過程を解析する一助ともなるだろう。私としては、バークが「シーン」の概念に注目していることも、文化シーン論との関わりで注目したいと思う。
 だりい、やっぱノートの公開みたいなのはアテクシには無理かもしれない。むしろプリントのより抜きを文章化するのがせいぜいかなぁ。あとはオリンピックみましょうっと。しかし、20年ぶりにメダルで、一段階上の表彰台にのった親ぢは、中年の☆だね。

*1:「実に情けない雷電ドロップ(ヒップドロップ)」(村松友視)のサンダー杉山なんかとの死闘?がなつかしすぃものがございます。

*2:この前出た、海老坂武の回想録みたいな本で、立場も違う渡辺への信頼が表明されていたのには意外ではあったが、得心するものがあった。