平成2ちゃん語と社会学

 起きたら雨がじゃんじゃんであった。女子サッカーは負けたけどラッキーして上にいけたみたいだし、北島も決勝へ、そして何より体操が予選トップというすごいことになっていて、すっかり五輪気分となっている。横浜の本棚を見ていたら、何年か前に買って、おいたままになっていた、上野千鶴子『文学を社会学する』(朝日新聞社)を発見する。いわゆる平成言文一致体をめぐる議論で、最後の全共闘高野悦子と、最初のリブ田中美津、それから桃尻語の橋本治を比較したくだりは、何度読んでも面白い。だいたいが、時にはドキュソな文章を交えつつ、ブログを書いている理由だって、アテクシなりのパロールを発見したいっつーか、自分なりのスタイルと作品性を探求していると言ってもイイと思う。宮台真司上野千鶴子というような社会学者の営みは、他の面はもちろん言うまでもないが、とりわけパロールの追求と言う意味で、非常に刺激的である。そういう試行の場として、ブログっていうのはすげぇ面白いと思っている。最大の失敗は、やっぱHNだけで、自分のHPなんかとリンクせずにやるべきだったかなということで、はじめちゃったもんはしょうがない。別館を作るという手もあるけど、それほどの労力をさきたくないからな。せいぜい一日一時間くらいだと思うんですわ。
 この本において、そういうスタイルの問題と表裏一体をなすのは、日本における家父長制の問題と、資本制的国民総動員体制の問題であるということを、あらためて確認した。江藤淳の問題は当然そこで問題なわけだけど、それだけではなく連合赤軍の問題にも議論は及んでいて、田中美津の「永田洋子はあたしだ」という田中美津の逆説的な発言がとりあげられていて、「男なみ」なんてクソ喰らえみたいな話になっているのは、大塚英志サブカルチャー文学論や、乙女チック連赤論などと関連して非常に面白く読んだ。大塚の「乙女チック」という視点には、編物や、少女漫画について「いーでしょ」って本に書いて魅せた橋本の文学的探求のそれとどうように、目もくらむような才気が横溢していて、石牟礼道子の表現を借りれば、凡庸な精神にはそれは過剰すぎ、「とんびにさらわれたようなかお」になってしまう。いまだ「ものごころつく」ということのないトホホな自分に、うじうじしてやることもできずいると、モテナイ小谷野の言説が妙に心地よく響くけど、まあ小谷野氏はけっして2ちゃんなんかにはまる人じゃないと思う。『インストール』とまた一味違うようなものを、三十代くらいの人たちが書いていると思うんだけど、それが作品化、文体化されないのはなんなんだろうか、という追体験をするという意味で、ブログや2ちゃんは意味があるのではないかと思っている。なんてツバつけるところで終わらないで、展開しねぇとだめなんだろうけど、それができないんだよねぇ。
 それはともかく、今日やっぱじっくり読むかとスポーツ新聞を買いにコンビニに行ったんだけど、どの新聞も「亮子」「亮子」「ミセス亮子」「谷亮子」の嵐ですた。やっぱねぇと思いつつ、骨のある新聞はないのかと思ってみていたら、われらが神奈川新聞が「野村三連覇」の大見出し。なんかなぁ。あと、田原総一郎とかの番組をみた人は、この機会に新聞の片隅にこっそり報道されている重大記事に注目しなさいと言っていたことを思い出すべきでしょう。今のところ見つからないけど。しかし、一瞬なんで母校が甲子園に出ているのとぶっ飛んだけど、ちげーのか。残念だ。アテクシは応援部の顧問をしていたのだけど、早慶戦早明戦みたいなものの応援をしたことがない。ッつーかそういう学校に所属していたことがない。めっさ残念である。岡山大学でパワーリフティング女子がかなり頑張って、壮行会したくらいです。