五輪柔道

 今日は弟夫婦が甥を連れて、横浜にやってきた。甥が、しきりにダンダンダダダン♪ってからだを動かしている。え、どこかできいたことあるぞと思ったら、安田大サーカスなんだね。こどもがまねするってことは、けっこういいんじゃないかな。コント55号の野球拳だとか、加藤茶のちょっとだけよとか、たけちゃんのコマネチだとかもうそうだったわけだし。しかし、あのネーミングは卓抜だわなぁ。トラウマなくらい見世物感覚だし。スティグマ抱えている場合、お笑いでもやらないと、やってらんないところはあるからね。太宰治人間失格』の有名な「わざわざ」も、早熟なインテリにはメモメモな衝撃であったとしても、アホたれには日常なわけだし。で、甥だけど、上品に育っている。親に、うんこぢぢいだとか、うんこばばあだとか言い、ゲフゲフ言いながらメシ喰って、こぼしまくりなおぢさんは、めっちゃ教育に悪いと思うな。今日だけでも、「おいしい→うめぇ」「食べる→喰う」になった気がする。そのうちうんこぢぢい音頭でも教えてあげるからねとゆおうと思ったけど、弟がかみさんにあわせる顔がないだろうし、やめますた。
 弟たちが帰ったあと、小板橋二郎『ふるさとは貧民窟なりき』(ちくま文庫)を読む。時代も街の様子も段違い平行棒にちがうんだけど、まなざしの質に共感するものがあった。野坂昭如焼け跡闇市派というのとは、異質の世界がそこにはあると思う。文体的にも作品性からも、ちょっと弱いんだと思うけど、私はこういう位置取りの作品には、例外なく感心してしまう。一気に読破し、そのあと五輪観戦。ベルファスト大学の先生が書いたミルズ論と、愛用のPOD革装丁特別版*1を持参したけど、じぇんじぇん読まない。なんかやっぱ、勉強部屋がない環境ではもはや深夜にでもならないと仕事ができなくなっている。五輪をガンガンテレビでかけて、明かりつけまくりで、パソコンとか見ているよこで、ぢいさま、ばあさまは平然と爆眠しているのとは大違いである。
 きいたふうなことを言えば、前回の世界選手権をみたときに、野村忠宏の三連覇を確信していた。たしかに不運に負けはしたものの、あそこで出した裏投げは、『YAWARA』のテレシコワなみの切れ味で、凄みを感じた。野村自身「技のキレは自分だと思う」と試合後かたったのも十分うなずける。今回も格違いの強さで、あたりまえのように金メダルをとってしまった。まあ、チェ・ミンホがライバルをみんなかたずけて、くたびれて自滅したみたいに言う人もいるんだろうと思う。そういう結果論にはアテクシはあまり興味なくて、むしろチェと野村の一戦をみてみたかったと思っている。野村としても、そういう意味では残念だったんじゃないかなぁ。いくらなんでも次は無理だろうけど、やっぱみてみたいよね。四連覇。谷選手も、当然もう一回やるんだろうな。解説をしていた師の細川信二氏は、ロスの金メダリストで、鬼ぞり短髪眉毛そってんじゃねぇぞごるぁああというようなギョーカイ系の面構えで、私は同じ頃活躍していた岡田おやびんなんかとともに、アテクシは大ファンだったんだけど、すっかり丸くなっちゃって、教え子の活躍にあたたかい言葉を送っていた。おーし一本!!とか、野村すんげぇ〜!!とか、長野五輪モーグル解説やっていたどきゅんなあんちゃんみたいな解説を期待しただけに萎えますた。最後は、「野村と同じ時代にやってなくてよかったです」だって。ここは一つ岡田さんにビシッと決めて欲しい気もしますが・・・。
 2ちゃんのカキコでは、チェに関するあいかわらずのアンチかきこだとか、野村の国民栄誉賞だとか、そんな程度ですね。「569 :クーベルタン男爵さん :04/08/15 00:40 野村は顔も実力も美人嫁も含め完璧超人なのでイマイチ感情移入しにくいが、凄い香具師だとは思う」*2というのは、ある意味国民感情を集約しているかもしれませぬ。やっぱマシンのようにホームランを量産したワンちゃんよりは、敬遠の玉をうっちゃったり、敬遠に講義してバットを逆さにもったり、ベース踏み忘れたり、「the」を「てへ」と読んだりしたチョーさんのほうが、国民的なあいどるになったわけっすよね。ちょっと目を離したら、女子サッカー負けてるやんけ。

*1:学生時代これが欲しくても買えなかった。高かったから。革装丁で薄紙の上質紙を使っている。スリムでハンディで語釈がまたいい。簡便で、かつ語源的なものもフォロー。ただし、院受験でつかったホンビーのアドバンストラーナーズを併用するのが常だった。これは、桜井雅夫先生のゼミで勧められたもの。これを二度通読すれば、かなり上達すると言われたけど、十ページで挫折した。

*2:五輪板の野村スレッド。