進学のためのコンシェルジェ−−大学説明会

 今日は大学説明会である。昨日サッカーアジアカップのハイライトなんてものをみていたために、睡眠不足で、だからがんばれー、などと珍しく陽水を口ずさみながら、大学に到着。どーせ暇だろうから、テストの採点でもしようかなとか思って、大量に答案を持って説明会場へ。そしたら、社会学科のブースにはもうすでに列ができている。スゴイ熱気である。大学院、学士入学、編入学、AO入試、推薦入試、一般入試など、いろんな説明を聞くために、おそれおおくも天下の受験生様が、親御さんだとか、時には学校の先生などを同伴して話を聴きに来られるのである。私が女子大に移った頃は、ほんとに人がいなくて、ずっと開店休業みたいだったので、試験の採点なんかもすすみまくりだったのに、今年の熱気はとくにすげかった。なかには、福岡や、青森なんて遠方から来られている方もいる。地方都市から、女子大を志望する人に、アナウンサー志望が多いのは、ひとつの特徴かなと思った。
 まわりの学科などもそうなんだけど、うちの大学はバッタモン売りつけるようなマネは、絶対にしない。留学、教員試験、学芸員資格など、美味しいことはいくらでも言えるわけだけど、他の学科もシビアさを誤解なく強調する。英語教育も、認定校留学も、夏の語学研修も、遠足まがいのごまかしは一切せず、ホンモノのカリキュラムをお届けします。でも、語学資格も取らない、留学先のことも調べない、なにもしないで遊び気分で留学なんて人は一切相手にしませんみたいなことをはっきりと言う。教員や学芸員も、単位取得の厳しさや、実習の大変さを伝える。そのかわり、用意されている授業はホンモノですと言う。これを「営業努力のなさ」という人もいるわけだし、このような「老舗の誇り的なもの」により、うちの学校はアピール度という点ではずいぶん損をしてきたと思うけど、「勉強しまっせ」「サービスしまっせ」という誠意とは別の誠意をそこに感じることもある。学生の学びたいことをしっかりときき、学問内容に則してできるだけ助言する。場合によっては、その関心なら法学部、その関心ならここの大学が強いなんてことも、各ブースで言っているようだ。言ってみれば、進学のための「コンシェルジェ」と言えるだろう。
 こういう工夫は、岡山大学でも検討されているようだ。病院の総合診療科のように、まず入学させてみて、関心を持たせる努力をし、そして進学振り分けを決める。東大だとかで行われている方法にも近いのかもしれないが、教える側がポジティブに対応する点が違うのかなぁ。まあ要するに「コンシェルジェ」なわけですね。三浦展氏の『これからの10年 団塊ジュニア1400万人がコア市場になる!―マーケティング戦略の狙い目はここだ!』(中教出版)は、こうしたコンシェルジェの例として、伊勢丹の化粧品売り場のことをあげている。何でもシャネルを売りつけるってな売り方ではなく、カルテみたいなのをつくって、肌化粧品は資生堂、香水はシャネル・・・みたく、コーディネイトしてくれるらしい。パソコンが発達しているわけだし、ディティールに配意した大量販売だってかのうだろう。もう一つ三浦氏があげているのが、アマゾン。本を検索すると、いろいろなコンテクストが広がってゆく。ンなこと言ったら、ブログもそうだよね。はてななんかは、トラックバックだけでなく、*1キーワードとかで広がる。そーいや、田中やすおちんは、長野県の行政窓口をコンシェルジェといっていたわな。でもって、予備校もコンシェルジェはコンシェルジェな分けだし、受験ジャーナリズムは受験ジャーナリズムで独特の言説を展開している。それに対応するのが、大学の入試説明会なわけだし、なんでもかんでも当社の製品をみたいなことも重要なのかもしれないけど、いろんな関心を聴き、学問の立場から、自由に助言するのも、教育界にのみ許された重要な仕事だと思っている。いろいろ批判はあるんだと思うけど、私はこういう姿勢には共感している。
 で、説明会だけど、しばらくは丁寧に話していたものの、すぐにいつもの口調になっちゃった。親がいたって、かまいはしない。失礼がないようには心がけるけどね。「AO入試って何かって?AOの説明会聞いてないの?あー、社会学科の判定基準とか聞きたいってこと?それ言っちゃったラサ、やばいじゃん。不正行為ダベ。まあ差し支えない範囲で、言ってみようか。AOってさ、いわゆる一芸とは違うと思うんだよ。なんか独自に英語の研究しすぎたとか、ボランティアで社会活動しすぎたとか、志望学科の研究とかかわるような研究活動見たいのをしていて、すべての成績の平均では推薦入試を受けられないけど、すべての成績を二乗して足したら、高得点になるような椰子、これって昔ノーベル賞の湯川先生がゆったんだぜ、ってことはどーでもいいけどさ、そういう椰子を入れるのがAOだと思ってるよ。オレは。まあ、わたやなんちゃらというような作家が文学科を志望したら、合格だけど、ぴろすえはだめみたいなことじゃないの?」みたいなことを、調子に乗って話した。
 まあ一番多いのは、就職と、入試問題と、学科の説明。ありのままを話す。一切の脚色なし。ただ、女子大が故のメリットは一応強調する。求人が女性だけだから、まわりの共学校から求人見に来ているみたいだとか、80年以上の伝統はそれなりにつかえるだとか、昔は一般職多かったし、今もそれなりに多いらしいけど、このごろの傾向として「やりたい仕事」やるために、ベンチャーとか、あるいはバイトなんかから始めるのもいるよみたいなことも言う。「ブランド冠企業に一般職で入るのは、さほどむずかしいことじゃないけど」みたいに、さりげなく付け加える。ただ、マスコミ、公務員などは、就職内定が遅くなり、一浪もあり得るというようなことははっきり言う。少なくとも、社会学科に来れば、アナウンサーになれるなんてことは、口が裂けても言わない。親御さんの中には、OGのかたなのか、子どもさんをどうしてもうちの大学に入れたい人もいる。何年か前にこんな人がいた。「法学をやって、弁護士めざす女子大といえば、やっぱここですよね?」なんて言われちゃったわけ。こんなときが、実は一番答えに窮する。おかあさん、それはちょっと強引じゃないですか、と思いつつ、ことばを飲み込み、「私学の場合、伝統や校風を買う部分がありますよね。まあ今は専門学校が発達していますし、ロースクールは法学部出身じゃないコースもありますしね。まず人格を陶冶して、それから弁護士をめざすのもイイかもしれませんね。でも社会学科は社会学をちゃんと勉強しないと卒業できません。それを自覚して受験してくださいね」などと言うと、お母様は「そーですよね!!(娘のほうに向かい)やっぱあなた女子大がいいわよ」などと、もー走りまくり、娘さんは不満顔。そのときばかりは、ほとほととほとほ自責の念にかられた。と同時に、背負っているものを重く感じた。考えてみれば、ありがたいことである。
 受験ジャーナリズムとはちょっと違う意味での、学問的な職人芸をもったコンシェルジェに出会えるかどうかは、その人の一生を決めると思う。*2受験生のほうも、あそこの助言は、ちょっとアメリカンエクゼっぽすぎない?トレンドはもうちょっとヨーロピアンクラシックだろみたく、うんちくかたむけるようになるのは、まあそれもニセモノと言えば言えなくもないけど・・・。そういう意味での、予備校ミシュランみたいなのも重要かもしれない。ここは国立難関、私学ならここ。ここは旧サヨク、ここは新左翼。そんな語彙とは違うホンモノのことばが、予備校には潜在している。それは、まだ十分には開示していないように思う。

*1:トラックバックはいまだに理解できないけどね。

*2:私もそういう出会いが一生を決めた。無理だといわれた受験を強行し合格したからね。