庶民のしたたかさ

 岡山についてから、妙にセンチメンタル。カキコも湿っぽいとゆわれた。今日は台風だけどなんか精神がストーミーに鼓舞しない。昔は、四駆はしらせて、川の増水とかみにいったのに。まあ、かすっただけで、なにもなきがごとしなわけで、よかったんだけどね。で、また思い出話。ギャグい話は帰るまでできないかも。なんか、街のテンションとかも、まったりしているからかな。ギャグな思考がスパークしない。
 はじめて本を書いたとき、最初の書き出しに「岡山駅前の路地裏に華光軒という中華料理屋がある」という書き出しにして、庶民についてきいたふうな理屈を言ったら、そこのおやぢにたしなめられたというようなことを展開して、編集者町田民世子氏に見せたら、気持ちはわかるけど、やっぱ最初の本だし、大衆論なら大衆論できちっと展開し、庶民なんてもっともらしいレトリックでごまかさないほうが、いいんじゃないかなどと忠告された。「庶民のしたたかさ」なんてことを言ったら、いつもはにこやかなおやぢが、怖い顔して「先生が論じなくても庶民はしたたかに生きていきますよ」とどすをきかされた顛末である。痛い理屈を言って、ごくあたりまえのことを言われただけで、「大切なことをいってもらった、アリガトウ」なんていうのは、厚顔無恥以外のなにものでもないかもしれない。口の悪い河村望氏なら、「その程度の庶民論で人がだませるとでも思っているのか」と直言され、ひとしきりからかわれたのではないかと思う。もっとも、つい先日も浜田真理子氏にかこつけて、ミュージシャンのクレバーさなんてことを言ったのだから、人間いくつになってもたいした進歩はないのかもしれない。
 その華光軒で今日は夕飯を食った。ちなみに朝は毎日岡山駅の在来線新幹線乗り換え口コンコースにある弁当やのとなりの店で、いわし天とコロッケそれにおにぎりを買って食べている。いわし天というのは、いわゆる関東で言うさつま揚げで、たこ天などもある。おにぎりとさつま揚げだけで、ここ何年も商売やっているのだkら、味に定評があるし、売れているのだろうと思う。でもって、華光軒だけど、ここへいくと必ず食うのはニラレバ炒めで、あと気分によってあげわんたん、豚肉の山椒焼き、ぎょうざ、肉団子、ラーメンなどを組み合わせる。ニラレバは、町々のおいしさがあると思うんだけど、ここのは濃い味で強く炒りつけてあるのが好きな人にはこたえられないだろう。中華街の楽園のニラレバもレアでまるでフォアグラのようなレバが美味く特筆したいけど、そういうのとはまた違った「この街」の味がする。「ひさしぶり」と言って迎えてくれて、あとはほっておいてくれ、ころあいを見計らって「また集中ですか?」などと一言二言言葉を交わす。それだけだけど、駅前の昔の闇市があった地域で、その面影を残すような細い路地に隠れるようにしてある店は、街の人に愛されている。
 辛いものが好きらしく、ジャージャー麺は、要望に応じていくらでも辛くしてくれる。テンメンジャンみたいな味じゃなく、むしろミートソースみたいな色になる。勇者はこれに挑戦する。食べきるとおやぢは不服そうな顔をする。おやぢのとっておきを、マンデラ弟に食わせてみたいよ。目をひんむくと思うよ。ジル「エクセレント」必定リアクションだと思うぜ。私は、次の日もずっとカラカッタよ。やっぱジャージャー麺は平凡な甘辛いやつがいいな。アテクシは。
 こういうおやぢだから、果たしてメディア嫌いで、ガイドブックになんか一切登場しない。誰かが隠し撮りして、載せたら、しばらく店閉めちゃったりした。客のほうも、今日は入れた、入れなかったみたいに楽しんでいる。一切のおまけもサービスもないけど、丁寧につくってくれる。無口な誠意は、この県民の美徳だと思う。