浜田真理子CD購入ーー近藤ようこ恐るべし

 週末は横浜の予定だったが、仕事が終わるのが遅くなり、結局パチンコへ。ウナギ食べてからなにも腹に入れていないで、お腹ペコペコであったが、8時まわっていたし、メシ喰っていたら、絶望的だから、やめた次第。なんかもうHiromi郷は終わっているカンジだった。予想は当たらない。で、大負けの轟沈。もうこれでしばらくはパチンコはやらない。くらい気持ちで回転寿司へ。こころなしか安い皿ばかりをチョイスしている自分がいた。
 その後新星堂に行き、浜田真理子の『純愛』、『Love Song』を買った。真っ白のジャケツは、シンプルだが(・∀・)イイ!!カンジである。なんと近藤ようこが後者のジャケツにイラストを描いていた。近藤も、往還する人である。ガロとビックコミックの両方に、消耗されつくないように作品を描きつづけている。その作品世界は、私のヤクザな言葉を用いればの話だけど、赦し、あきらめ、暖かさ等などをおそらくモチーフとしているんだと思うけど、寡黙だが多彩な表情をたたえる線と、余白で、男と女を描いている。近藤のことはとつぜん消滅した文化社会学掲示板のマンガ関係のスレッドに書いたのでくりかえさないけど。
 で、そのジャケツを見ながら、今CDを聴いていて、あらためて地方都市云々なんて前に、歌い手であって、それだけを聴けばいいと言うことがわかる。『情熱大陸』の言いたかったことが、CDを聴いてみて、よりよくわかる気がした。スナックで歌謡曲聴いて育ったこと。玉造温泉で歌っていたこと。東京のライブハウスに歌いに来ること。でもその時は、お腹が痛くなること。地元のスナックで店内ライブするときは、リラックスして歌えること。小谷美紗子をしっとり落ち着かせたカンジくらいに思っていたけど、想像と違っていた。声は、奥ゆきがあるというか、懐が深いカンジっつーか。でもって、そこそこやさぐれているカンジもあり、松江のライブハウスというスペースが、吉祥寺や、パリのモンマルトルなんかに、ワープするかんじっつーか。スペースが作品性となっているというのも、思い入れかなぁ・・・。
 松江の曲は入っていなかった。でも貝殻節が入っていて、私はこういうのはとても好きなわけだけど、矢野顕子のホーハイ節に萌えつつも、どこか違和感を覚えた過去があって、そこから違和感をとるとこんなになるんかなーっつぅカンジです。矢野顕子は、ピアノの鍵盤に剃刀の刃をたてて、訓練したっていうわけだけど、そういう規律訓練を、たとえば『ヨ・ロ・コ・ビ』なんかを歌って、破調に、しかし一種脅迫的に楽しんでみせるみたいな苦悩があったみたいに思う。そして、比類なき作品世界ができあがったわけだし、けっして消耗されたりはしていない。そういうのを前にして、自信を持ちきれなかった自分に、浜田真理子の作品は、少しだけ励ましをくれるッテ感じかな。
 しかし、近藤ようこには本当にビックリした。最初のCDが出たときに気づかなかったにしても、なんで昨年このミニアルバムに気がつかなかったんだろう。まあ、私は特に音楽に詳しいわけでもないし、なにごとにも情報が早いわけでもないから、ショーがないよね。この他、おれんじぺこの新譜を試聴して買おうかと思ったけど、金がないのでやめる。野宮真紀の新譜は、それでも買おうと思ったけど、やっぱ自粛。個人的には、野宮真紀は髪を伸ばさない方がイイと思う。だけどさ、なんでKOKIAは今ごろになって売れているんだろうか?「ぴんくのぞう」の頃の方が私は(・∀・)イイ!!と思っていた。別にマニアック気どりじゃないよ。ボニーピンクは売れてからの方が好きだし。どーぞ笑ってくれよ。