調査実習

 今日は三年ゼミの日。ゼミは調査実習と連続で行われる。四限ゼミ+五限調査実習だが、二時間続けてゼミの週もあれば、二時間続けて実習のこともある。家族、地域、福祉、労働、文化など、領域によって、そして教員によって、実習のなかみは異なる。それで教員別に実習がゼミに併設されている。夏期休暇に調査旅行を行い聞き取り調査を行うゼミもあれば、アンケート調査と集計を行うゼミもある。二年次に調査法の授業があり、それを踏まえての実習となる。その発展上に四年の卒論演習が位置づけられる。私の場合、実習のデフォルトは、『社会調査へのアプローチ』(ミネルヴァ書房)レベルで、調査法の設計、サンプリング、集計などの基礎知識を習得するというのが、最近の定石。これはおそらく公約数的メニューである。現代文化学部にいらっしゃった某先生などのように、サンプリングを重視されるかたからすれば噴飯ものの教室でのアンケートに甘んじている。予算がないから仕方ない。しかし、前任校の藤森俊輔氏は、教養部教員で専門学生をもたなかったのに、ゼミ生を連れて役所に行き、サンプリングの実習をさせていた。そして多変量解析なども、二年生に一生懸命教えていた。今にして思うと頭が下がる。私は、集計も、単純集計、クロス集計、独立性の検定くらい。今年は青少年研究会にならって、ソマーズのDも併用しようかと思っている。真剣に自分が格闘している専門の勉強を、学生にぶつけるという境位からはほど遠い。学生に無理を承知で調査をさせ、場合によっては調査旅行に引っ張ってゆき、ゴシゴシ鍛え上げる情熱にまったく欠けていると思う。
 ほんとうはそれがやりたいし、その方が個性が出るのかもしれない。大学院受験者とやっていたサブゼミ参加者とは、そういう特訓を夏休み返上でくり返した。合格した連中は、なぜこれを講義でしないのかと言った。同じことは前任校でも言われた。もちろんそれなりの言い分はある。やり出すと猛烈にシビアだからだと思う。東北大の某先生のように毎日読み進むのに院生をつきあわせたというのには及ばないが、それでも週三回へとへとになるくらい英語文献を購読した。正直言えば、もうあんなのは無理だろうなと思うのである。せめてこちらが学生から真剣に学ぶしかない。
 今年は16人のゼミなので、四グループにわけて演習を行う。(1)結婚観、(2)人間関係、(3)携帯電話、(4)若者の居場所とアルバイトというのが今年のグループ。ここ数年、青少年研究会の、希薄化論と選択化論、新しい親密性といった考え方の調査を基本として実習を運営してきた。今年はそれに沿った主題を選んだグループが多い。昨年は、タトゥー、ピアス、身体改造などのグループ、一昨年は下着と露出というグループがあり、実施、回収などにかなりの気を遣った。学生は、現象的な観察になると非常に鋭い。それと理論の接合になると、うろうろする。今年は、ミネルヴァから問題意識の本が出て、そこに社会学史のデッサンがあり、社会学的な定番の問題設定のようなものを示すようにして、調査を位置づけるように努力をしてみた。しかし、まだまだ私の自己満足にすぎない。こうした精神の運動は、決して不毛な啓蒙ではないと思っている。今の学生たちは、流行の学問に泥酔した酔っぱらいに厳しい。学生の考えることを論理化し、学問とすりあわせる、相互性が不可欠だと思う。なんというか、インチキクサイ言い方になるが、「骨法」のようなものを身につければ、あとは本を読んで訓練できる。そう信じるしかない。こっちもその方が勉強になる。というか、こういった学生への一種迎合的な態度が、青年論などの研究にむかった主たるモチベーションであると言った方が正確だろう。