鈴木弘輝他『統治・自律・民主主義――パターナリズムの政治社会学』

 随分前のことになりますが、すずきこーきたそから本をいただきました。夏休みは本を書いていて、そっからあとも原稿の締め切りとか、書類の〆切りとかいろいろあり、すっかりご挨拶が遅れてしまいました。時間ができたので、少しずつご紹介申し上げます。こーきたそからいただいたのは、パターなりズムについての本で、これは学会シンポでも、言及されたものです。

統治・自律・民主主義―パターナリズムの政治社会学

統治・自律・民主主義―パターナリズムの政治社会学

機能不全の政治・社会を突破する唯一の可能性。

パターナリズム(温情主義、父権主義)が含み持つ可能性と限界を理解することは、機能不全をおこしている政治・社会を乗りこえるために重要である。
パターナリズムはどう位置づけられるのか、その有用性は本当に正当化可能なのか、といった問いを念頭に、政策、理論、教育、思想の各方面から考察する。

目次

はじめに 鈴木弘輝

第1部 パターナリズムとは何か
第1章 パターナリズムと批判をめぐるアポリア――内/外の思考の可能性と限界(木矢幸孝)
第2章 自己の技法への想像力――別様可能性としての『山びこ学校』(神代健彦)

第2部 政策にみるパターナリズム
第3章 市民社会の軌跡――日本的統治の「包摂」の構造(稲葉年計)
第4章 観光開発政策にみる中央と地方――パターナリズムの質的転換(大河原麻衣)

第3部 近代の諸制度にみるパターナリズム
第5章 現代人の「成熟」に必要な憲法教育――ニクラス・ルーマンが言及したかったこと(鈴木弘輝)
第6章 「向かい火」としてのパターナリズム――ピエール・ブルデューと民主主義(山本宏樹)

第4部 政治思想がはらむパターナリズム
第7章 リベラリズムの教育論とその隘路――多元的社会における教育構想という困難(山村和世)
第8章 「人民による、人民のための統治」への試論――生の実験、あるいは自分自身を信じること(堀内進之介)

解題 今日パターナリズム研究が重要な理由――グローバル化と民主制の両立不能性(宮台真司)
あとがき 堀内進之介
http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100002216

 学会では、パターナリズムの親方みやでぃ@アクティビストが、なんともにんとも厚い本かいちゃいますおぐまがガチンコぶつかり、猛反対したんだけどキターダがこの二人にしゃべらしちゃだめと羽交い締めにし、そのあとわれらがじゅねさそがちっちゃくちゃぶ台返しするという趣向で、いまだに余韻を噛みしめているところでございます。みやでぃが、津波のときなんかもガキは意味なんかわからんけどここまで逃げろわかんなくていいと父権もへったくれもなくガキに修行させまくったおやぢがいたから、すげぇたくさんのガキが助かったわけだし、考えちゃダメ、とシャウトし、いやその例だすのは反則攻撃ぢゃね、みたいに厚い本が微妙な表情していたのが印象的だった。
 まあ、サンデーモーニング都下に出てくる記者が毎度毎度くり返す、被災者の社会性が外国の支援者やなんかを感動させマクリみたいなのは、チゲくねぇ、みたいにも思うけど、まあそれだって私たちはコーロ外語のhin-her体操みたく身体化したもんかもしれないわけだし。となると、九九とか、そろばんとか、体操とか、行進とかからはじまって、向山な法則化練習とか、百人一首とかやってたほうが、個性とか、考える力とかより、数段増しかもしれなくねぇ、みたいに思わんこともない。まあしかし、「型」の文化、「間」の文化ってことからすれば、もう少し違う見え方がしてくる気もする。まあその辺のところは、拙著にも触れたんだけど、まあ誰も覚えちゃいないだろう。別にひがんでいるわけじゃない。
 ロック、特にパンクとかは、楽器弾けなくてもどうにかなっちゃうというか、それこそクールでインでキャンプみたいなこともあるわけだけど、まあそれにしても、チャック・ベリーコードくらいしらないと、ベルベット・アンダーグラウンドだって、ゆるしちゃくれませんよね。で、要するところ、またもやるーまそですか。めんどっちいし、そのへんでいっかいやってみてくんないかな、それまでによしゅうしとくから、みたいな、妙な読後感を持ったのでございました。