藤本一司『素晴らしきドイツ語の世界』

 藤本一司さんからまたまたまたまた本をいただきました。今度はドイツ語の教科書です。ドイツ語も教えていらっしゃるのですね。考えてみると、藤本さんと知遇を得たのは、教師を辞めてヨーロッパでノマドっていた藤本さんが、大学の後輩と出会い、紹介されたのでした。そして、その後輩とは、諏訪功先生のゼミでいっしょだったのですね。

 後輩は、研究者の道も考えてはいたようですが、銀行マンとなり、今はスイスで国際金融の仕事をバリバリにしています。そういうコテコテのグローバル人材が、ドイツ語のゼミをとり、さらには授業でグリム童話原書で読んだり、さらにはアベキンヤの授業で、オイレンシュピーゲルのスカトロギーなテキストを耽読したりして、こーろ外語のヒンヘア体操がどうのこうのとか、こーろが左翼は溶鉱炉にぶっ込めとかふかしまくっていたとか、佐々木庸一が音楽研究者にしてはドイツ語ができると嬉しそうにしていたとか、ドイツ語単語集記憶競争の掛け金を一単語20円にあげようだとか、ヘルマン・パウルのドイツ語辞典がどうだとか、先生は不変化詞の訳しかたが魔性だよなとか、そんな話を日々していました。それだけではなく、最近は週末にオペラ鑑賞とか、あとウェーバーなんかを原典で耽読したりしているという話をこの前聞きました。私は対してドイツ語もできなかったし、雰囲気を味わっていただけなのだと思います。そんな私でも、そういう教養知は、――気障な言い方になりますが、――複合動詞などで几帳面に仕切られて、キチッと進んでいくドイツ語の行文の音読の記憶として、鮮明に蘇ってきます。
 藤本さんが教えようとしてるドイツ語は、そういったペダンティックな臭気漂うものとはまた異なる、切実な記憶を随伴しているのではないかと拝察しました。うちの大学などでは、ドイツ語を学ぶ人が以前と比べてかなり減っているそうです。でも、世界的に見ると、経済一人勝ち的なドイツ語を学ぶ人はけっこう増えているらしいんですね。藤本さんの教科書も、そうしたことを先読みしてのものかと思いましたが、ツールとして使いたい椰子はイラネと、切って捨てています。おいおい、そいつはちょっとやばくないかい。一応編集者の顔くらいはたてるもんだろう、とか思ったんですが、ぶっ飛びの一言で本は締めくくられていました。
 この本には、藤本さんが呻吟したドイツ語の骨法のようなものが、わかりやすいコラムとなっていて、かなりの分量が割かれています。さらに練習問題も、そのコラムで説明したドイツ語の特徴を問いかけるようなものになっています。逸身喜一郎『ラテン語のはなし』などを思い浮かべていただければ、かんじはわかると思います。ただ、藤本さんが教えるのは高専の教室です。人文学的な知をダイレクトに押しつけてもラチがあかないことはあきらかです。藤本さんは、倫理学や哲学の自著で展開したことなどに惹きつけながら、無理のない議論をしています。
 まあそれにしても、こういう著者は、編集者泣かせとおもうじゃないですか。ところが締めくくりには、このコラムを書け書けとすすめたのは編集者であったというのですね。これは凄いことだし、いい出会いがあったのだな、と正直うらやましく思いました。また、さっそく検索しましたら藤本さんの著作の読者の一人である鹿児島国際大学の古瀬徹先生もさっそくブログで本書に言及されていました。これもまた、非常に嬉しいことなのではないかと思います。いろいろな意味で、献本ありがとうございました。
http://blog.livedoor.jp/kouyama2012-003/archives/51916459.html