天田城介・村上潔・山本崇記編『差異の繋争点――現代の差別を読み解く』

 天田城介さんからまたまたまた本をいただいた。天田さんとの「出会い」は、『社会学評論』に掲載された構築主義の論文の感想をブログに書いたことである。それを読んでくださった天田さんが、本を下さって、以来もらいっぱなしが続いている。申し訳ないかぎりである。チーム天田のことを調べるために立命のHPを拝見した。すると、大学院時代同じゼミで勉強したG氏が天田さんの同僚になっていることをを知った。

差異の繋争点―現代の差別を読み解く

差異の繋争点―現代の差別を読み解く

 私のようなものに、お気遣いいただくのは本当に恐縮なのだが、私としては、非常に刺激的な本で、ごっちゃんと言わざるを得ない。内容の紹介や目次などは、立岩真也サイトに掲載されているので、リンクを貼るのにとどめる。
http://www.arsvi.com/b2010/1203aj.htm
 天田さんや、同書に執筆している有薗さんからは、マリノリティの問題がサブカルチャーの問題でもあることを教えていただいてきた。特に、有薗さんのマリノリティのマイノリティという知見は、研究会の発表で衝撃を受け、未公刊の論考の複写を入手して読み、自著に引用したりもした。ハンセン病患者のロックバンドなど、洞察力あふれる学問がどう展開してゆくか注目していたし、このような一つのステップを踏んだことをよろこばしく思う。
 立岩真也がサイトに引用されている本書のタイトル=学問的な立場をめぐる次の一文は、マイノリティのマイノリティという知見と響き合羽ものであるように思った。「本書は、ありがちなマイノリティ研究とは違った現実を描きたいという思いを、「差異の繋争点」という奇妙な造語に託して編んだ本だ。本書の目次・構成・内容等については本書のページを参照していただくとして、この本はマイノリティをめぐる現実では〈繋がり〉と〈争い〉を避けて通ることが困難である、という「身も蓋もない現実」を描きたくてまとめたものだ。マイノリティ研究とはしばしば様々な「喧嘩の火種」が燻る中に飛び込むようにして思考することでもある。「地雷を踏む」「踏み絵を踏まされる」「火中の栗を拾う」ようなこともあるだろう。それはしんどいこともあるが、困難な中でも私たちに思考の導きを与えてくれる。そう信じてよい。」
 学生時代に富津のノリ養殖漁民の人たちの調査に行き、「オレたちは調査ゴロ、環境ゴロは一切信用しない」と洗礼を受け、しかし、漁協の方たち数十名で話をしてくださったことが、私の学びの原点となっている。そして、そのとき一緒に調査に行った同級生は、その後もずっとノリ養殖の手伝いに行き、教師になって現代社会の教科書を執筆したときもノリ養殖について執筆している。今は、柏にある県立の進学校にいるが、まったくぶれるところがない。
 こうした友人たちの存在は、ぶれまくりの私には、とても厳しいものであるが、本書もまた厳しい問題を投げかけてくれている。立岩サイトから、もう一文引用しておく。「既視感のある社会保障論・社会運動論の結論のために「マイノリティ/当事者」を動員する執筆者は、少なくともここにはいない。そして個別の「フィールド」の特性を、いかに特権化することなく、かつそのダイナミズムを磨耗させない批判的視座を設定しうるのか、試行錯誤を積み重ねてきた。」(「あとがき」p.295)
 関東社会学会例会でのエヴァ・キティをめぐる議論=自立支援か依存労働か、等とも照らし合わせながら、私はあえて動員=未開発の普遍的な楽しさの存在、について考え続けてゆきたいと思った。