山本武利『朝日新聞の中国侵略』

 山本武利先生から本をいただきました。ありがとうございました。大変恐縮いたしました。母校退官の時に、「これからはスパイ、諜報の研究をする」というので、エエエェェと思ったのですが、それは私の不見識でした。大変な一次史料を根拠にした研究構想であり、同僚、門下の人たちとさまざまな成果を生み出してきたことは、言うまでもないことです。それと平行して行っていた研究を一書にまとめたのが本書で、早稲田大学御定年を前に、新聞記者論という原点に立ち返る趣向にもなっているようです。技芸を駆使しながら揺らがぬジャーナリズムというものを、史料精査によって浮かび上がらせる一作と拝察いたしました。神学とインテリジェンスの関係を問いかける佐藤優の推薦がついているのも興味深いものがありました。

朝日新聞の中国侵略

朝日新聞の中国侵略

 メディア環境の激変の中でも、新聞界の王者・朝日新聞歴史観は揺らいでいないといっていいでしょう。中国政府と人民にことさらやさしい朝日の論調。自国のみならず自らの歴史をも剔抉(てっけつ)する良心的姿勢。それら定評ある朝日の言論と企業行動について130年余の社史をひもとき、その「空白」部分に光をあてたのが本書です。著者はメディア史研究の第一人者である早大教授です。新聞研究半世紀の総決算を期した調査の成果にご期待ください。(HH)
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163737300

 まだぺらぺらとめくっただけですが、マンハイムの『保守主義的思考』を想起志ながら、拾い読みをしました。オルテガチェスタトン・・・とたどると、西部邁に逢着し、科学技術文明を目の当たりにした精神文化、大衆社会論と、時流の中でのさまざまな「ひと踊り」、サブカルチャーとポピュラー文化などについて思考してきたことや、良知力が「向こう岸からの世界史」の栄光?をかなぐり捨てて「 乱痴気としての革命」を描いたことなどをボーッと考えました。
 帯にある「これは侵略か、それとも進出か」という問いかけには、保守というレイブリングが正しいかどうかわかりませんが、重厚な歴史眼が明示されているように思われました。本書をめぐる一部マスコミの「ひと踊り」、というよりはマスゲームをも、批判的に射貫くものであることは、明らかでありましょう。
 では朝日はどうなのか。思い出したのは、30年ほど前に授業で庄司興吉先生がアメリカについて、語っていたことです。米帝だなんだかんだ言うが、アメリカは、たとえばケネディならケネディの問題はないがしろにせず、自分に不利なことでも、徹底的に問い詰め、調べ上げるところがある。そういうジャーナリズムの存在は、一歩も二歩も先を行っている。何年かすれば、史料は公開されるでしょう、と。山本先生の占領研究や諜報研究は、そうした史料を用いてのものであることが思い出されました。
 もう一つ思い出したのは、石川真澄記者が岡山大学に講演に来られたときに話されていたことです。敵視されている国のことをこそ、その国の立場に立って、理解することが大事である。これが、弊社の矜恃である。戦前の戦争への加担について、新聞社としての深い反省があるからである。そういうお話しでした。先日再開した大学時代の友人@朝日新聞とは、アカデミズム対ジャーナリズムという問題をめぐり、禿げしく言い争ったこともありますが、ぶれない報道姿勢には一貫して敬意をもってきました。
 それだけに、朝日の「情報公開」については、非常に意外なものがあり、かなり驚きました。まあ、昨今の学級崩壊いじめ社会みたいなありさまでは、悪用されるだけ、みたいなことで、黙して語らずということかもしれません。裏声で歌え、相対性理論「学級崩壊」みたいな。w ここで思い出したのが、NHKの「バブル美術館」という番組です。バブルの乱痴気のなかで、マネーゲームの道具とされたピカソの「軽業師と若い道化師」という絵画が、したたかにヨーロッパの精神文化が取り戻す話です。取り戻された絵画は門外不出となり、マスコミは完全にシャットアウトされます。ただし、学術的な調査には許可を与えるとしています。*1再度、「これは侵略か、それとも進出か」という問いかけに込められたものがなみなみならないものであることがわかります。
 史料の使い方他、じっくりと学ばせていただくつもりです。私は、ミルズをめぐる論戦について、二次文献を用いてデッサンするところまでは研究を進めましたが、それ以上は一歩も進んでいません。手元に一つだけ一次史料=あるリトルマガジン全巻があります。それは、戦争と対峙したドワイト・マクドナルドとミルズが、ヨーロッパの思想やポピュラー文化などを次々と紹介した雑誌です。20年以上前に必死に手に入れたものですが、今だ何も手つかずです。そういったあたりを、昨今のミルズをめぐる歴史研究成果などともあわせて、また勉強してみようかと思いました。

*1:中村好孝との共著『社会学的想像力のために』の10章の冒頭で論じました。引用しておきます。『NHKの番組で「バブル美術館」という番組があった。バブル期に、土地などとならんで投機の対象になった美術品取引について、描いた番組である。商取引のなかのモラル、公衆としての商人のありようについて、一石を投じる番組になっている。少し内容を紹介してみたい。/番組の一方の主役は、日本の経済人である。バブル期にジャパンマネーを使って、欧米のオークションで巨額の取引を成立させ、世界中の話題になった。1年で何倍もの値段になるということで、銀行もお金をいくらでも貸した。融資のための営業も行われていた。売買はエスカレートし、いい絵かどうかは二の次で、ルノワール、モネ、ゴッホピカソなど作者の名前だけで巨額の取引が行われた。なかには、「ヨーロッパからは出したくないような作品」を、猛烈な値段をつけて、ヨーロッパの有名な富豪に競り勝った例もあった。/番組のもう一方の主役は、一人のスイスの画商である。ピカソの信頼も厚いこの画商は、多くの絵を日本人に売った。「名前だけでどんどん売れた」と証言している。ところがまもなくバブルは崩壊する。多くの絵は、金融機関に差し押さえられ、倉庫に眠ることとなった。欧米の画商たちは、いいものだけをより分けて、買い戻していった。これは業界で「サクランボ摘み」と皮肉をこめて呼ばれていた。あるニューヨークの画商は、バブル期の美術品売買について、「ろくに勉強もしないで売買に手を出したら、やけどをするのはあたりまえだ」と手厳しく指摘した。/実はヨーロッパの富豪が競り負けた作品も密かにヨーロッパに買い戻されていた。買ったのは、日本人に競り負けたヨーロッパの富豪、仲介したのは、バブル期を語ったスイスの画商であった。スイスの画商は語る。「バブル期には、多くの絵が売れた。重要な作品まで、日本に行ってしまった。それでずいぶん多くのお金を手にした。バブルには良い面もある」と画商はおだやかに微笑んだ。そして、「競り負けた作品をずいぶんと安い値段でヨーロッパに買い戻すことができた。それはどうしても買い戻したいものであった」と言った。画商自身も、乞われても売らなかった、あるいはみせもしななかった絵画、あるいは高く売って安く買い戻した絵画など、好きな作品、重要な作品をたくさん所有していた。そして、画商は、バブルで得たお金で美術館をつくり、所蔵作品を倉庫から出して展示することにした。バブルのなかで取引された絵画の数々と、美術館の佇まいが二重写しになり、番組は結ばれる。/日本のマネーゲームの底の浅さをつきつけられ、なんとも言えない後味が残る。それにしても、浮かび上がる画商のしたたかさは滋味にあふれている。ヨーロッパの市場取引の基礎には、重厚な教養や専門知識があることが実感される。もちろんすべてをマネーゲームに変換して考えること自体は、重要な思考枠組である。しかし、それを相対化する精神の資質が同時に必要であるということを、『バブル美術館』という番組は訴えかけている。』