片桐雅隆先生より御本をいただきました。恐縮するとともに、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。片桐さんが通史を書くことは、私は個人的に待望してきたことです。丁寧な古典の読解と、最新の研究動向のレビュー、とりわけ80年代の相互行為論においてとりわけ顕著であった二次文献の精査は、学史を書くのによりふさわしいと思っていたからです。出版をお慶び申し上げます。ここ何年か片桐さんがアンソニー・エリオットに強い関心をもたれている(てか、翻訳も出しているわけですが)ということを、沢井敦先生より教えていただいたことなどを思い出しながら、ページをめくりました。
学史の本として非常に長い影響力を保っている本があります。極端な例を挙げれば、ヘーゲルの精神現象学やパーソンズのSSAなどのように、ザックリと学のコンテクストを描ききった作品は、やはり私のような者にも面白く思えます。
他のいくつかの大学で社会学史を担当したことがあります。大衆論をベースにして、三溝信先生のテキストを用いて、市民社会論からパーソンズまでを論じることに徹しました。本書はまだめくった程度ですが、そのとき感じていた痛痒感を一掃してくれるような爽快感を感じました。
- 作者: 片桐雅隆
- 出版社/メーカー: 世界思想社
- 発売日: 2011/01/17
- メディア: 単行本
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私は、最近次のような現状認識を仮定して、概論などの講義をすすめています。近代化は、20世紀社会において国民国家、性別役割分業家族、職業などを基本ユニットとする一定の安定した枠組を得たかに見えたが、グローバル化・自由化というかたちでそれが解体され、新しい枠組が模索されている。この仮定は、テキストである『Do!ソシオロジー』(有斐閣アルマ)が提示しているものですが、社会学史を描く場合にも基本概念になりうると思っていました。液状化、リスク、自省性、正義、公共性など、昨今よく話題になる文言に触れるたびに、放りだしてあった問題群を思い出したりもしていました。
そんなこともあって、本書でまず眼に止まったのは、第7章であり、また第3章であります。特に大衆で1章設けられているのは、今ここにおいては、非常に斬新に感じられます。「語り」という心棒をビシッと通して、自己言及、再帰という問題をミードの時期にまで投げ返し、今風に言えば「社会の立ち上がり」について論じ至る、ということで、非常に明晰な構成になっているように思いました。萎え萎えになっていた私の学問も、知的刺激でget it up!!、みたいな。ww
ミルズについてもかなりの紙数が割かれていて、非常に参考になりました。ここは、私の専門領域ですから、さらっとさりげなく書かれている行文からも、非常に誠実に原典と向かい、最新の動向を踏まえて書かれていることがとりわけよくわかります。私個人は、今歴史学的な史料研究をフォローするので精一杯なのですが、それ以上に修士論文を『反省と想像力』というタイトルでまとめ、大衆論で本を書いて博士号を取得したことを思い出すべし、と喝を入れられている気もしました。
おそらくは、いろいろな社会学者たちが、気前よく目次からはずされていることについて議論されるでしょうし、序章と終章で書かれていることの理論的な射程というものが問い詰められ、シビアに検討されることになるとは思います。しかし、その成果もまた、予告されている自己論の体系書に盛りこまれることになるはずです。
シュトラウス、そしてアンソニー・エリオットらと積極的に国際交流され、その学問成果を日本の学会に紹介された成果の一つとみることもできるでしょう。自己論の一つの動向として、それがどう括られることになるのか、数年後に横浜で行われる国際学会が楽しみになりました。