加島卓他『文化人とはなにか?』と三浦展

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 加島卓さんからずいぶん前に本をいただいた。ありがとうございました。加島さんがご報告された関東社会学会の部会で知遇を得て、以来なぜか研究会や学会で御一緒する機会があり、そのおりに、あの時の報告が活字化されないかというようなことを申し上げてきました。一部は関東社会学会の学会誌に掲載され、その時掲載されなかった横尾忠則を中心としたデザイナー論がこの本に掲載されています。そんなこともあってか本をいただくことができました。

文化人とは何か?

文化人とは何か?

内容

 脳科学者,女流作家は何故マスメディアが求めるままにもっともらしいことを語り,お笑い芸人は何故,映画監督になり,芸術家になり,政治家になるのか? 何故,“違いのわかる男”は「文化人」なのか? そして,そもそも「文化人」とは何か? 飯田泰之(経済学者),荻上チキ(評論家),難波功士(広告論),佐倉統(科学論)など総勢16名の気鋭の論客が,独自の視点から「文化人」たちを分析する。文藝評論家・福田和也,建築界の大御所・磯崎新のインタビューも掲載。

目次

はじめに/本書の構成
第1部 文化人の条件
 第1章 南後由和 文化人の系譜
  コラム1 阿部純 日本の栄典制度:文化勲章
第2部 作家/批評家と文化人
 インタヴュー1:福田和也 文化は社交から生まれる:批評の「現場」を作るということ
  コラム2 阿部純 文化人の墓
 第2章 田中東子 軽さをめぐる冒険:室井佑月的なものについて
  コラム3 堀口剛 「編集者」が「作者」になるとき:三浦展という事例から
 第3章 荻上チキ ウェブ時代の文化人:といっても特に代わり映えもなく
第3部 アカデミズムと文化人
 第4章 佐倉統 疑似科学謳歌する文化人たちはなぜ増殖し続けるのか:脳科学の事例を中心に
 第5章 飯田泰之 市場を語る文化人:「経済の専門家」とは何の専門家なのか
 第6章 石田佐恵子 〈女性文化人〉の構築とその力学:〈女性文化人〉は消滅するか?
第4部 テレビと文化人
 第7章 近森高明 「芸人」転身物語:〈お笑い〉と〈文化人〉のジレンマをめぐって
  コラム4 松谷創一郎 「スピリチュアル文化人」の今後
 第8章 高野光平 違いがわかる男たち:テレビCMの中の文化人
  コラム5 松谷創一郎 中田英寿高橋尚子が提示する新しい「アスリート文化人」像
  コラム6 香月孝史 歌舞伎俳優の「格調高さ」
 第9章 新藤雄介 「ニュースキャスター」の振る舞い:ジャーナリストと文化人の間
 第10章 逢坂巌 選挙報道にみる「文化人としてのテレビ」

第5部 表現/業界と文化人
 インタヴュー2:磯崎新 事件としての建築:クライアント列伝
  コラム7 田代美緒 クラシック音楽の女性演奏家
  コラム8 松谷創一郎 類例なき坂本龍一の文化人活動
第11章 加島卓 デザイン/デザイナーを知ることの戦後史:職能と人称性
第12章 難波功士 「ビジネスモデル」としての広告系文化人:その神通力の生成と消滅
  コラム9 松谷創一郎 「『タレント』ではないタレント」として文化人
終章 加島卓 OVERVIEW:語りやすさをまとめることの困難
あとがき/謝辞
人名索引

 メディア論、文化社会学、社会情報学などの専門家が論考を寄せておられるわけですが、一つの大きな特徴としては、現代思想的な思想用語、批評用語などがほとんど使われていないことに気づきました。この前のユリイカで「思想地図的なもの」(内野儀)というような言い方を見つけて、なるほどそういう言い方もするのか、と思いましたが、この著作は「そういうもの」とは一線を画し、日本の社会文化を論理的に読みほどくものになっており、興味深く思いました。こうした傾向は、実は「思想地図的なもの」の宗家でもある北田暁大さんあたりがはじめられたもので、実は「思想地図的なもの」というのは、その前の現代思想的なものとは一線を画す意味があったのだろうと思います。
 そのことで「郵便的なもの」の画期性は、むしろ通常とは別のものとして理解しなくてはならないのかな、と思われました。私よりワンジェネ上の先生が、北田あずまんの自分語りについて批判されているのを耳にしたことがあります。その時覚えた感覚の意味あいを再確認した気になりました。
 個人的には、堀口剛さんが書いた三浦展論が非常に面白かったです。「新書ブーム」あたりを画期として、「新書の雑誌化」というものが指摘されるようになった。つまり、新書が氾濫すると同時に、その内容が雑誌の特集記事のようになった。アクロスを支えた三浦展は、こうした雑誌化する新書というメディアに適合的な文化人であった、という分析です。
 私は、動機の語彙論を単なる言語社会学的、社会心理学的な用語としてではなく、作品モチーフ論として読解し、人間の生から芸術、科学などを作品モチーフという観点から分析するための用語として理解することができるのではないか、という仮説をもち、最近研究を進めています。その観点からすると、本書は「文化人のモチーフ」の語彙を、丁寧に読み解いたポイエティックな批評書として非常に刺激的でした。