洋食とうどんと県立図書館

 岡山に来てすぐの思い出として記憶されているのは、旭川沿いの道を学校に自転車で急ぐ高校生たちの姿や、朝早くの岡山駅の乗降客の足早の表情など勤勉さのようなものがざっくり脳天に突き刺さったという類のものが多い。勤勉さを支えているのは、堅実な生活習慣であり、その背後にあるがっちりとした家族や地域や仕事の枠組みであるように思われる。日曜日に再び町を歩いてみて、 一定の枠組みが人々の表情を支えていることを再確認した。もちろん、福山雅治が歌った「ファイト!」を聴いていて、町を捨てて出て行くなら身内のものもいられんようにしてやるといわれ、東京行きの切符を燃やそうとして燃やすことができなくて、汗で文字がかすんだというような、あきらめの人生もあるのだと思うし、あるいはまた柴門ふみの「マイリトルタウン」に描かれた窮屈な町でとんがり続けた挙句にどこまでもどこまでも泳いで町を離れようとする主人公の姿なども思い出さないではない。地方都市の凶暴さというものも十分にわかる。
 それはともかくとして、もうひとつの思い出として、みんながっつりものを食うということがある。東京ではこまっしゃくれた皿にうすっぺらくもられたご飯をだす、こじゃれたランチを食って、クリスタルじゃんみたいにひそかに思っていたのだが、こっちにきてみてちゃんぽんやにはいったら、ちゃんぽんとおにぎりのセットを老若男女がもりもりくっていて、みんなしっかりした骨組みのバディで、コレガホントジャンみたいに思ったのだ。学生も学食で定食をがっちりくっている。研究室に菓子を買っておいたら、すぐになくなるのもびっくりした。
 何がいいたいかというと、今日の夜飯はオリアンに行ったのである。エビフライがおすすめよ、みたいにかいてあったから、食うしかないジャンみたいに思って、速攻頼んだ。多いことは知っていたのだが、一年ぶりに見ると思わずのけぞった。場所はクレドビルとなりの地下、むかしラーメン新雅があったところにうつったが、相変わらず老若男女で混んでいる。そして、みんな平然と食っているのだ。女性一人の人もいる。私は昔ながらの洋食屋が好きで、ここのものは非常に気に入っている。つけあわせも、キャベツ、スパゲティ、にんじんと絹さやのぐらっせ、ポテトサラダと、もう、もってけ泥棒状態の付け合せフルコース。しかも、こさかしく一つまみずつじゃなく十二分な分量が付け合せだけである。そして、タルタルソースを別売りにするようなことはなく、怒ばっとぶちまかしてあり、その上にエビフライ四本。これは小動物が鎌首もちあげたような西荻キャロットのような凶暴なものではなく、リーズナブルなサイズであるが、まあともかくものすごいぶんりょうですた。私がここに来るのは、洋食を食いたいということもありますが、前にも行ったようにトマトのクリームスープが好きだからなので、多いのはわかっていたが、これだけははずせない。これが食いたくて通っていた時代もあるのだ。日替わりでカレーのクリームスープ(カレーとコーンなどもある)がきたりしているときは単品で注文したくらいなのである。ということでさすがにご飯はだいぶ残した。周りを見るとぺロット食べていた。
 午前中は日曜日なので、ごろごろし、昼におきだして飯を食いに行った。ちょっと食いすぎているので、うどんにする。岡山でうどんといえば、わたしたちはおよべなのです。昨日岡大時代の同僚と再会し、およべに支店ができて10時までやっていることをしった。しかし、やっぱりなつかしいのは本店で、表町に行く。途中紀伊国屋が青山になっていてぶっとんだ。で、ついでに萬果荘でフルーツを発注。これは親と弟へ。そしておよべへ。東京ではよい刻みうどんがあまりない。あげとねぎを細かく刻んでのせたものだが、なんかちゃうんだよな。で、刻みを。気持ち麺が細くなった気がしたのだが、たべてみたらひょろひょろ口の粘膜を刺激する感じ。しかも、小麦のうまみががっちり伝わってくるような気がした。どっちの感じも、私の思い入れの投影かもしれないけど、そんな感じがしたんだよ。マジで。とくにひょろひょろのほうは、神戸の三宮の瓢箪で餃子を食ったときにかんじたのと同じような官能的なうまさだよ。下衆な説明的な物言いはいやだけどそういうかんじがしたんだよ。まあともかく大満足で、夜も支店のほうに行こうかと思ったけど、うどんだけだと、さすがに野菜不足になるのでやめた次第です。いやでも、マジうまかった。
 およべにいったあとは、岡山県立図書館に。丸の内の林原というから、NHKのところかと思ったら、県庁のまん前だった。烏城路を通っていったのだが、昔よく行った桜門というレストランはもうなかった。移動したのかもしれない。県庁の前というロケーションはいいよね。県庁の仕事と連携するならば、資料は充実しまくりだろう。子供異様に多いので心配したが、一階の一角に広いスペースがとってあり、分煙スペースのように透明な囲いがしてあって、子供図書室になっている。ものすごくたくさんのがきが本を見ていた。大人スペースも総合文化センターのときとは比較にならない広さで、感動した。二階にあがり郷土の文献を集めたコーナーに行ったら見当たらない。社会科学とか書いてあって、どこよ?と思ってよく見たら、そのコーナーが半端じゃなく広くて、かつ図書が詳細に分類してあるのだ。横浜市立図書館や豊川の市立図書館の資料スペースを見てきたが、さすが県立と思うすごいものだった。新聞の切り抜きもある。保留してある主題をやらなくちゃという気になったが、科学研究費の主題はこなさなくちゃいけないので断念。そのあと、社会科学のコーナーを見た。社会学のコーナーにもけっこう人がいた。思わず覗き込んだら、「おまいなによ?」みたいにがん飛ばされてしまった。すんまそん。ちなみに社会調査の本だった。帰りに丸善によって社会学のコーナーを見たら、そこにも人がいた。私が岡山に行ったころは、吉備国際大学社会学部もなく、社会学者は非常に少なかった。岡山大学には教養部と、後は教育にひとりだけ、教育のほうは社会科だから、ちょっと違う面もあり、書店の社会学の本のコーナーも少なかった。変わったもんだと思う。

 一豊(上川隆也)は長浜城へ入城、ついに二万石の城持ち大名となる。「婚礼の晩のお約束、お守りくださいましたね」と歓喜する千代(仲間由紀恵)。一豊は吉晴(生瀬勝久)、一氏(田村淳)と共に、いずれ豊臣家の継嗣となろう秀次(成宮寛貴)の宿老にも命じられる。吉事は続いた。本能寺の後、行方知れずとなっていた康豊(玉木宏)が訪ねて来たのだ。康豊が味土野で幽閉中の玉(長谷川京子)に助けられたと聞き、千代は驚く。秀吉(柄本明)の取りなしで玉が細川家に戻ったことも初耳であり、大きな喜びだった。しかし宮津城に戻った玉は夫・忠興(猪野学)に側室がいる事を知り所在なさを覚える。そして忠興は一豊からの書状を手に、味土野で庵に男を引き込んだのかと嫉妬に狂い、玉はさらに心を閉じる。
 そのころ、大坂城では茶々(永作博美)が三成(中村橋之助)をさらに取り込もうとしていた。一方、長浜では平穏な毎日が続いていた。法秀尼(佐久間良子)と康豊の再会、北政所となった寧々(浅野ゆう子)の訪問。寧々の言葉から、長浜城を賜ったのは寧々の口添えがあったと気づく千代。千代は娘のよね(森迫永依)に裁縫等を教え、一豊も戦火からは遠い。この時が夫婦にとって人生で最も幸せな日々だったのかもしれない。

 功名が辻は、来週の娘の氏の前の幸福。城もって、舞い上がりまくりの一豊ちゃんと、裏をしっかりと読み取る千代の対比が、幸福と不幸、良かったと嫉妬などが、めくるめくみたいなかんじかな。茶々やばいよね。香川照之長沢まさみも十分やばかったし、筒井道隆も鬼やばかったけど、森雪ノ丞なんかとやばい番組やっていた人だし、それなりに演技派の自負もあるだろうし、週末婚でもかなりやばいことやっていたし、気合が入ればけつでも何でも見せたるでみたいな気合も十分だし、「なりませぬ」@必殺の三島百合子状態の三成は大笑いだよな。最後は、「やめてはなりませぬ」ではなくもっと無粋といえば無粋。しかし、がきの使いで、山ちゃんと戦うもりまんをひさびさにみたが、すっぴんは西荻一円時代ともまたちがい、これじゃあドランクドラゴンのつかじだよ。わはははは。ものまねででろよ。しかし、もりまんと、0930と、森三中でユニット作らないかな。村上知子がビックになりすぎかもしれないが。しゃれで、稲垣吾郎も入れたりしてさ、稲垣メンバーと陽気な仲間たちみたいな。w 写真は、お城の丸の内を改造した図書館の写真。吹屋ふるさと村。ベンガラの町並みは国の指定に。あと、あいかわらずジェンダーフリーなT駅のトイレ。w