大河ドラマとゲージツ

 中学のときの国語教師がすごい映画好きで、毎時間のように脱線して映画の話をしてくれた。そのときに「映画は芸術だが、テレビは違う。大河ドラマなどはいいセン行っているけど、やっぱりだめだ。なぜだめなのかわからないが」みたいなことを先生は言い、強い反感をもったことがざっくり記憶されている。製作の途中で視聴率や視聴者の声などによって、内容に影響が出るなどということもあるんだろうなあとは思った。人気キャラが出ると「助命嘆願」などがでて、実際延命したりすることもあった。視聴率が低いとテコ入れでカンフル剤のようなキャラが投入されることもあるらしいということも聞いた。だいたいにおいて、そのころはまだ生中継のドラマとかあったんじゃなかったっけなどとも思う。そんななかで、大河はましなほうだけど、なにかが違うってことだろう。今でもビデオ屋にある『白い巨塔』『傷だらけの天使』などを見てみればわかるが、昔はほとんどのものがクールもへったくれもなく、延々とやっていた。それでも死期の迫った田宮二郎のぬらっと青白く萌える演技だとか、太地喜和子岸田森の存在感などは、芸術とは無縁に育った私たちバカガキの心に届いていたと思う。
 しかしともかく多くはだらだらやっていたのは間違いないだろう。映画の場合『旅芸人の記録』のように見るのに気合いのいる糞長い映画もあるわけだけど、一定の形式性(あるいは形式破壊)において演出し、編集するという意思をがっちりうちだすことはできる。それを観客はそれを能動的にみる。それこそがげーじつだっていうのは、わからないじゃないんだが、ちょっとちがうんじゃないか。今では、1クールだとか、朝ドラ15分半年だとか、大河45分一年とか、いろいろな形式性ができてきているし、それに見合ったゲージツ性ってものも出せるはずだって思ってみたりもする。ゲージツの定義は違ってくるのかもしれないわけだけど、メディアはメッセージなんだし。そういうかんじで、功名が辻を半年みてきた。今週は「家康恐るべし」。大仰さのオトシマエをどうつけたものか、じっくりみた。

秀吉(柄本明)は自らの権威を誇示するため大坂城の建造に着手。茶々(永作博美)のための築城と見た寧々(浅野ゆう子)は千代(仲間由紀恵)に、茶々と同じ近江生まれとして近づき、様子を伝えるよう命ずる。すでに茶々と接し、秀吉を滅ぼすため生き残ったと明かされていた千代は板挟みの形となる。同じころ、千代は秀吉の甥にあたる秀次(成宮寛貴)と再会する。成長ぶりに喜ぶ千代だが、気負いばかりが伝わる様子に不安も覚える。秀吉が次の標的とする東国では、家康(西田敏行)が粛々と領土を広げていた。秀吉は三成(中村橋之助)の言をいれ、家康に官位を授け、上洛させようとするが、家康はまったく動かない。

その家康が突如兵を挙げた。「あの律儀な徳川殿が…」声を失う一豊(上川隆也)。秀吉軍・家康軍は小牧山にて対峙。戦は持久戦となり、秀次率いる軍勢が家康の後方をつくべく出兵するが、家康は急襲をかけ長久手で撃破。譴責(けんせき)を浴びる秀次を、一豊が救う。戦は一度きりの局地戦で幕を閉じるが、秀吉の快進撃を阻んだ家康は天下にその名を轟かせた。関白となった秀吉がある日、一豊を大坂城に呼び出した。なんと長浜城をやる、と言うのだ。
http://tv.yahoo.co.jp/tv_show/nhk/komyo/story/index.html?b=29

 まずカリスマの証明としての箱もの政治としての築城についての蘊蓄をさらっと示したあとで、千代がネネと話している。ネネにやばい要請をうけても、その後に秀吉がやってきて探りをいれられても、ひらりひらりと答えてみせ、朴念仁の夫にフォローを入れる丈夫さに秀吉ちゃん「ようぬけぬけと」。とまあ、視聴者が期待するセリフをもったえつけずにストレートに打ち出してくる。みる者も「いよっ!」と声をかけたくなるよね。歌舞伎じゃねーけどさ。先週姑と二人でグチグチ言う一豊ちゃんにたいして、ドスや剃刀をつかってヤキ入れたわけだ。姑がワシがこの手でとドス持って突進し、千代は氏んでやるとのど笛カッ切ろうとして、一豊はビビリまくった。そのわははを棚に上げて、しゃあしゃあと一豊の忠義を秀吉に説明してみせた。このときの柄本明のまなざしにグッと来たお父さんたちも多いのではないでしょうか。そして、引っ返して一豊に「上様はためしておられる」と説明し、さすがにわかった朴念仁「そっか!まいっか!」みたいな。このあと千代がチョーしこいて戦や政治について語り、鋭い指摘にむかついた一豊がぐずる→千代女のくせに出しゃばりマスタ→さらにむかついた一豊がキレる→娘が喧嘩しないで→三人で抱擁という大サービス。いいよね。日曜の八時だもん。ご飯食べながらさ、こんなのみたいじゃないか。昔の大河でショーケンの人斬りいぞうをみて、すげぇなぁと思いつつ、メシがまずくなったからなぁ。
 このあと猪八戒が、恐るべき家康を演ずる。あいかわらず着ぐるみのような猪八戒。ツーか、猪八戒も柄本も、深く深く台本を理解していて、かつこうやってみせるのかみたいなことに感心した人は少なくないんじゃないか。つまりこうもできたし、ああもできただろうけど、こうやってやって魅せたというか。しかし、柄本の尻みせて、家康を挑発したのには大笑い。柄本は尻を実際出すなどと言ってもめたんじゃないかとか考えると楽しくてしょうがないっツーか、うちはそういう話が弾んだぜ。w でもって、「この勝利をどうつかうか」などと、ちょっと役に立ちそうな発想法を提示して、再びお父さんたちを蘊蓄に誘うというか。お父さんたちというのは、ジェンダーバイアスでしょうね。すんまそん。働いている親御さんたちと申しますか。などと言いつつも、大河で何がよかったときかれると、「花の乱だよ」と答えたくなるスノッブな自分がいるのでスタ。あ〜あ。