NHKアーカイブス公開開始

 西荻ニューベリーカフェで遅い朝食。w ゼミのため朝食とれず、昼休みから卒論の相談者が来ていたため。マメのスープとサンドイッチ。美味しくてヘルシーだが、問題はコーヒーつけると二千円ちかくする。月1くらいしか食べられない。あたりめーだ。そのあと西荻駅前にシナモンを買いに行く。血糖値対策である。このごろさすがに食事を気をつけないとまずい値になるのであった。大学への帰路、駅前を通ったら、居酒屋のところにパトカーや救急車がたくさんいて、黄色いテープが貼られていた。はじめてほんものをみた(黄色いテープ)。野次馬する暇がなかったのでちょっと立ち止まって帰ってきた。なんなんだろうあれは。途中学生たちとあったので、なにかわかったら教えてくれと言っておいたのだが連絡はない。たいしたことでないとよいのだが。

街BBSより

288 名前: 東京都名無区 投稿日: 2006/05/09(火) 16:07:55 id:s93.zDO2
北口駅そば新セブンイレブンの隣にパトカーと救急車と来てなんか凄い


289 名前: 東京都名無区 投稿日: 2006/05/09(火) 16:14:21 ID:9yGY.Qfo
280ドアホ


290 名前: 東京都名無区 投稿日: 2006/05/09(火) 16:19:03 id:s93.zDO2
路地で誰か刺されたみたいだぞ!
鑑識が来てる


291 名前: 東京都名無区 投稿日: 2006/05/09(火) 17:14:12 id:IElsGrts
え、駅前の「立ち入り禁止」
あれってそんなさわぎだったんですか!
現場ぴりぴりしてて怖かった...
「庄や」のよこの路地ですよね!


292 名前: 東京都名無区 投稿日: 2006/05/09(火) 17:17:34 id:s93.zDO2
レス290超えているので、これに関して書き込み最後にしますが、
刺された方は亡くなったようです


293 名前: 東京都名無区 投稿日: 2006/05/09(火) 17:20:17 id:DMSkI6Mg
一度締めたみたいなのにすみません。
バイト休憩中なのですが、外に出れないので
どなたか詳細お願いします。
犯人は捕まったのでしょうか?怖いです。

 NHKアーカイブスが宝の持ち腐れにならないよう公開するらしい。これは実にうれしいものがある。奇跡的に録画できた見田宗介の『現代社会の理論』を番組化したものは、概論やゼミで時々みせたりしている。著作の方も、新著よりはかなりできがよく、学生たちもけっこう興味をもっているようだ。さすがに長野オリンピックの前年につくられたもので、古くなっているのは否めない。でも、伝わることは伝わると思う。他にも『バブル美術館』などもよくつかった。
 録画したものだからよいのかどうかわからないが、問題はあるのだろう。それはわかっている。が、アーカイブスを公開となると、やっぱり気になるのは、ダウンロードして録画できるかということだ。ふざけるなとか怒られそうだが、イイものを見せたいという気持は、全国の教員に共通する気持であると思う。で、この際、専用のダウンロードソフトと焼き焼きソフトでもなんでもいいからつくって、ちゃんと金払ってみられるようにして欲しいのである。私はけっこう太っ腹なので、一回1000円払ってもイイ。ただ、焼くと何度も見る人がいるんだろうね。教室にみんな無線LANがついていれば、パソコン持ち込んでどうにかなるかもしれないし、そんなにニーズはないのかもしれないけどね。
 今でもオンデマンドで番組が手にはいるのかもしれない。西川口に行けば、番組が焼けるとか言うこともあるのかもしれない。しかし、われわれはそんなことは何も知らない。今は予算消化に高いビデオ買うなんて時代でもないし。たわごとついでにもう一つ言えば、15分とか30分とか、授業で使いやすいような番組も増やして欲しいかもしれない。怠慢なのは承知で言うわけだけど。w
 などと言いつつも、最近の学生たちをみていると、視聴覚教育どころか、板書もやめて、昔みたいな講義をして、ノートとらせた方がよいのではないかとすら思われることも多い。親切な講義が親切かどうかわからない。昔は「大学は自分で勉強するところ」などと言われたものだ。最近は、「詳しいデータは白書類などをみておくように」「わからない用語は社会学の事典をみて」などと言っても怒られることもある。
 金沢大学がノートの取り方から、ゴミの捨て方まで教える講義を始めたということが話題になっていた(後者はボクも聴講したいくらいだ)。ゴミの捨て方は環境問題と絡めて別講義にした方がよいとは思うが、ノートの取り方は教えてよいと思う。一年ゼミでは必ずノートの取り方を教えてきた。たとえばこんなカンジ。余白をたっぷりとる。片面だけを使う。ルーズリーフなら裏には書かない。授業の流れをまとめるノートと、それを組みかえたり、調べものを追加したりするノートを分ける。アタマでまとめて書きつける。特に話の流れをきっちりメモする。高校時代のテストのツボと、大学のそれは違う場合も多い。だから、ツボを見透かしたノートをとる。話者の話の癖をつかむ。シンプル化された話はわかりやすいが、しかし・・・と混ぜ返す人はわかりにくい。この場合“though”の節はとってしまってメモしてもよい。話者の見栄を張りたいとか、笑いをとりたいとか、心理を見透かす。話者の未熟、わかっていない程度を見抜く。等々。
 話していてわけわかめになることは多いものだ。例解のつもりで体験談を話す。しかし、ついつい面白おかしく話すことに一生懸命で、話者が本筋を混乱してしまうようなこともしばしばで、雑談が多いなどと文句を言われたりする。無駄話の心理をつかむことも重要だろう。例解で調子にのったのか、うけることに一生懸命になっているのか、授業の準備ができていないのをごまかそうとしているのか・・・等々。日記を書き始めた最大の理由の一つは、雑談への無意味な欲求を消すためだったような気もする。
 教師になりたてのころは、15分に一回くらいのノートタイムを設け、それ以外はノートしないで聞くように言った。手を動かさないで聴き、ノートタイムに板書をみながら、ノートをとる。わからないところは質問する。けっこうイイ方法だと思っていた。しかし、みんなノートするので、注意するのがイヤになって数年でやめた。 
 『話を聞き、本を読み、ノートをつけ、体系的に資料を集め、論理的にものを書く訓練を積み、そして学術的な論文を書けるようになること・・・』が学問を学ぶミニマムの意味あいのはずだ。知の実用的転換をすることで大学が変わってゆくことは時代の流れだろうが、『 』内のような能作をどう変換するかをまったく検討せず、いたずらに実用的になることは、問題があると私は考えている。実用的知識に長けた人のなかには、『 』内を特に自覚しなくてもできるとか、あるいは「現場流」が身についている人も多いのかもしれない。よって、いたずらに実用であることは、高踏的なのかもしれないのである。実際はどうかわからないが、そんなことを考える場としてみれば、金沢大の試みはよく理解ができるような気がする。