朝日のあたる家

 日本人の青年がバトンルージュで射殺されたときには、アメリカでは無断で敷地に入ったら射殺されても文句を言えないんだという友人のウンチクなどを聞いて仕方ないと思いつつも、他方「なんで!」という気持ちが強く、リアリティがつかみにくかった。今回のニューオリンズ水没の現状をみて、一つのリアリティが見えた気がした。街に住んで、一年間くらい踏査していたらば、もっとわかったのだろうと思うのだけれども、なにせ外国にいったことがないわけで・・・。たとえば本多勝一アメリカ合衆国アメリカ合州国*1などを読み、他方で映画の『アラバマ物語』などで「深南部」というものを多少なりとも感じたような気になったことや、その後の様々な勉強を経て、問題の深刻さはなんとなく感じることくらいはできる。
 それにしてもアメリカというのは、世界一の文明国であり、日の出の勢いだった高度経済成長時代においても日本がけっして追いつくことのできない目標であった。トレーラーの家などでもケーブルテレビとかをみていて、それなりの生活をしていると思っていた。いやもしかしたらしているのかもしれないし、していることの方が問題なのかも知れない。そんな層もそれなりの金を使っているという意味で。これで亀井俊介氏に師匠替えをしてアメリカ学を志したときもあったし、また自著書評がでたこともあるにはあるのであるが、アメリカ学会に入るかどうか悩んだ時代もあるというのだから、笑ってしまう。恥ずかしい話である。水没したまま、水は汚染され、治安は乱れている。あえて治安と言ったのは元警察官で、今も小学校で見張り番のボランティアをしているバカ親への表敬である。伊勢湾台風の時だって、あんな風ではなかったのではないか?昨日の高校生の会話ではないが、ぼくらはこのような方向に舵を切ろうとしているのか?ただ日本の街々にも同じようなことは言えるのかも知れない。むかし泊まりに行った友達の家は崖下にあった。思わず「お前これやばくないか?」と言ったら、友達はうつむいてだまってしまった。その友達は、デキシーランドジャズが好きで、私はアニマルズの「朝日のあたる家」のような暗い曲調のものが好きだった。『ぼくんち』に「つらいときは笑う」と書いてあったとき私は彼のことを思い出した。

朝日のあたる家(朝日楼) アメリカ民謡 訳詞:浅川マキ

私が着いたのは ニューオリンズ
朝日楼という名の 女郎屋だった
愛した男が 帰らなかった
あの時代私は 故郷をでたのさ


汽車に乗って また汽車に乗って
貧しい私に 変わりはないが


時々想うのは ふるさとの
あのプラットフォームの薄あかり


誰か言っとくれ 妹に
こんなになったら おしまいだってね


私が着いたのは ニューオリンズ
朝日楼と言う名の 女郎屋だった

BGM 「朝日楼」@浜田真理子『こころうた』

mariko live~こころうた~2003.11.21 at GLORIA CHAPEL

mariko live~こころうた~2003.11.21 at GLORIA CHAPEL

 言うまでもなく、報道されない地域、人々の現状はこんなものではないのだと思うし、「あれだけ報道されるのだからアメリカなんだ」というとある友人の指摘もよくわかる。社会的なかけひきはもちろんのこと、自分探しゲームの食い物にすることは、なにものにも増して愚劣なことだということはわかっているつもりだし、だったら黙して語らずというのが一番よいのかも知れない。ただ一点、「上京の変容」という私なりの主題と切りむすぶことだから語ってみたくなったのだ。それも利用ではないかと言うかもしれない。しかし、「食い物にしないですむ立ち位置」があると思っていることのほうが、数段馬鹿げている。それは現代の社会理論のいろはだろう。理論的にそれを解決することは、努力はしているけれども、自分には無理だと思う。できることは、現状分析の方法意識を検証可能なかたちで、明示することなのではないかと思っている。
 これから岡山である。滞在中は、目立たない場所に発表した原稿などを、ここにアップしようかと思っている。しかし、宿からネットカフェが遠いのがちょっとあれなんだよねぇ。タクるのもなんだし。中古のチャリを買ってしまうかなぁ。3000円くらいで売っているみたいだし。

*1:id:clinamenさんよりに間違いをご指摘いただきました。題目はこの本の要諦であり、まったく噴飯ものでお恥ずかしいかぎりです。あまりに時宜を得た間違いでもあり、銘記しておきたいと思います。clinamenさんありがとうございました。ちなみにこの本は何度も読みました。しかしこのありさま。個人的な糧にもなる話でございました。