JR福知山線脱線事故をめぐって

 JR福知山線脱線事故で亡くなった方が106人ということで、桜木町事件と犠牲者が同数になったという。うちの近くの横浜桜木町駅で京浜線車両が火災になった事件である。当事は車両間の移動ができず、また窓も三段スライド式で引き下ろす方式であり脱出できなかった人々が大勢焼死したという話である。その後窓も車両間のしくみもかわりより安全性が高まった。当事私の父親は、若手の警察官で「救出」にあたった。戦後6年、戦争をくぐり抜けた猛者たちも茫然と立ちつくすようなものであったらしい。嘔吐しながらの作業をした隊員たちを、上のものはさらに被害を想像させるような食物をふるまい鍛え上げるのだという。ロイター電が報道した合掌した作業員の方たちの写真を見て、思い出話をする父親の表情を思い出した。遺体安置所で、JRの職員たちが棺の中を見ようとしないと、遺族の方が怒っていた。「顔なんかぜんぜん変わっちゃってて・・・」と打ち拉がれる遺族に、手続きを早く済ませるように対応していた姿がなんとも憎らしい。この憎しみや怒りが向けられているのは、事件処理の論理であり、それは事故を洞察しているような気がした。
 運転士の遺体が発見された。遺体は運転席に座ったまま右手を突き上げていたと、読売新聞は報じている。深夜の放送は、幼少期よりの運転士の写真を公開し、成績がよかったのに家庭の事情でJRに入社し、車掌から運転士になった運転士の生涯を紹介した。夢は新幹線の運転士になることだったらしい。近所の評判もよかったという。ミスを連発し、またそれを隠そうとした運転士は、けっしてほめられるべきではない。自分で自分の適正を冷静に見つめ、適材適所を志望する勇気を忘れてはいけないだろう。しかし、だからといってやり直しを許さないような文化や、歪んだ効率を追求することが賞賛されてよいはずもない。誤解がないように言っておけば、私鉄と競争することで、よりサービスが向上することは悪いことではない。電車は遅れてはいけないものだと思うし、停車位置は正確にこしたことはない。また素人が、よりすぐりのプロ集団に何かを言えるとも思わない。いじめに近い仕打ちを受けなければ身に染みないこともあると思う。職人芸というのはそういうものだろう。
 未熟な夢はどのように育てられるべきであったのか。それをずっと考えている。若い運転士にベテランが添乗しての研修が始まるらしい。そこではどんなことが教えられるのであろうか。映画『鉄道員』で、唯一心をうたれたのは、沿線の風景の一つ一つが主人公の皮膚感覚として研ぎ澄まされ、一つの責任感が結晶していたことである。同じような責任感や熟練は、あるタクシー運転手からもかんじた。分かれ道を右に行くべきところを、左側を行った。怪訝な顔をすると、右を行くといちいち信号にひっかかかる。ここを行くと、ずっと青で、先の大きな交差点をすっと抜けられると運転手は言った。実際その通りになったのでびっくりした。運転手は、時間による車の数、信号のかわり方の一つ一つまで記憶しているカンジだった。こういう職人芸は、祖父や父の仕事ぶりを思い出させてくれるものであり、懐かしく、また気持ちのいいものである。
 これらは、小説『ア・ルースボーイ』で、新聞配達をする主人公が一軒一軒の家庭の情景を知り尽くし、工夫を凝らして新聞を配達するしかた、つまりは新聞をどこに挟むか、黙って配達するか、声をかけるかなどなどにまで気を配り、熟達してゆくさまなどと、共鳴し、重なるものであるように思った。一生勤め上げる仕事も、アルバイトも、労働に上下はない。それぞれの工夫があるし、誇りがあるだろう。うちの近くのコンビニの全身入れ墨のロックバンドのあんちゃんは、実に鮮やかに商品を袋に入れてくれる。
 選別されることは恥ではない。時には後戻りしてやりなおし、より適正にあったポジションで、夢を具体化してゆく。そんなこともできなくなってしまったとしたら、いくらなんでも馬鹿げている。ヨーイドンでトップをめざし、負け組をつくる。そういう選別も一方で必要であるということは否定しない。しかし、人の育て方がどこかおかしくなっていないか、考えてみる必要もあるように思うのだ。今度の事故の犠牲者の4割が、10〜20代だったそうである。なんかやりきれない気持だ。