船頭の飛沫飛ばさぬ竿捌き

 起きたら快晴であった。メシ喰って、ごろごろしながら今度紀要に発表する「『間』の文化再考」という論文のゲラを校正した。言うまでもなく、激高老人作田老師の論文をもじったものであり、南博氏の「間の文化論」を再検討したものである。二年前の卒業生であるホタルイカさんの『間の構造』という卒業論文から刺激を受けたことがモチーフになっている。そちらは、浪曲国本武春氏への聞き取り、資料収集を行い、浪曲における間について考察をしたものである。私の構想は、ホタルイカさんや南氏のように伝統的な日本文化を問題にするのではなく、「若者の間」を問題にしたいのである。そのためには「間の文化=日本文化論」という命題の妥当性を吟味する必要があった。しかし、いささかにわか勉強の領域だけに、文献精査などの点で未完成に部分も多く、忸怩たるものがあるけれども、ここを起点にして、いくつか書いてゆけば一冊まとまるはずなのだが・・・。来年度歴史社会学で「間の社会心理史」を主題に講義をするので、半年くらいでけりをつけられないかなぁなどと思っている。そのための校正であり、平生の校正よりもわがままに手直しをしている。
 家に居てもだるいので、校正をするために、伊勢佐木町に出かけた。いつもの松坂屋の喫茶室と思ったが、なんか気が乗らず、京浜東北線に飛び乗り、御徒町に向かった。大変な人出であり、交差点にパトカーのでかいヤツがでて、その上で警察官が交通整理をしていた。吉池の新巻しゃけなどをみつつ、ブラブラとして、お茶をしながら校正を行った。上野にはけっこういい茶店がある。ラミルには、一人ですわるには好適なカウンターがあるし、また上野らしいというか、たとえば写真の福助のような店がある。御徒町降りて、広小路方面松坂屋一本手前を入ると「あんみつ福助」という看板がある。あんみつ、ぜんざい、おしるこ、お雑煮などのあるいわゆる甘いものやである。お赤飯だとかで食事をすることもできるこういうお店は、昔は横浜の野毛などにもあったが、妙に洋風の店が増えてきてしまった。ここはちょっと狭いので校正には適さない。福助の隣が有名な蓬莱屋である。薄いころもで噛むと肉汁がジュワットにじみ出る。あのサイバラも上野イチオシと言っている。たしかに、肉汁系のとんかつとしては、双葉とここが双璧だろう。だけど、私は上品な薄いころもがどうにも苦手で、食べた気がしない。だから私はがっつりころもの井泉に行く。しかし、とんかつもバブル期に比べるとだいぶリーズナブルになった。当時マイセンなどは、たしか3000〜5000円くらいしたんじゃないかなぁ。
 みくしに京田未歩のこみゅたてをした。消息がわからないといったら、たちまちまいみくしのけっちさんが教えてくださった。今はバンドしてるのね。しかし、いため氏が本庄まなみと倉本安奈と京田の類似性に触れていたのにはびっくりした。
 冷えたので帰りに、御徒町でトイレに入った。そうしたら、トイレの朝顔の上に「船頭の飛沫飛ばさぬ竿捌き」とあった。みると、いろんな朝顔にいろんなことが書いて貼ってある。しかし、だめな船頭が多いとみえ、飛沫まくっていた。笑ってしまった。