小田和正の番組

 で、富士ランチで今年最後のボークソテーを喰って帰ってきた。いつもは脂ぎったオッサンの溜まり場みたいな店なのに、今日はなぜか女性がたくさん来ていた。しかも一組は若いのにいっちょ前にポークソテーを喰い。もう一組はメシ喰ったらおかずが足りなかったのか、ウィンナソテー頼んで喰っていた。うちの学校には食事としてはあまりものを食べない学生がけっこう多いのだが、やっぱりがっちりバランスよく食べている人を見るのは気持ちがいい。
 帰路ボーっとMDを聞いていたら、鈴木雅之の音楽が入っていて、あーこれ小田和正だったよなぁと思い出したのが、岡山で見た小田和正のライブ番組。周りをずらっとファンが囲み、小田が生活史を交えながら、しゃべりを入れ、ピアノやギターの弾き語りをする。ゲストに財津@チューリップとか、鈴木とか、登場して、いっしょに歌ったりもする。歌うと歌詞がテロップで出る。会場も歌うし、おそらく視聴者も歌うだろう。院生時代に草津攻先生のゼミとインターゼミをしていて、休日にみんなでドライブに行き、車のなかとかで歌を歌ったのを思い出した。歌ったのは、オフコースとか、五つの赤い風船とかであり、草津先生が哀調帯びた声で「いいなぁ〜」とつぶやいたりしたのは、とてもなつかしい思い出だ。朝まで歌つるべの下北沢飲み屋な楽しい雰囲気も悪くないけれども、小田の番組はそういうコンセプトではなく、基本は小田のライブなのだと思う。一時やはり坂崎の方がイイカンジと思ったけど、まあそれは勝手な言い分で、たとえばアーティストが浜田真理子であったとすれば、そんな言い方はしないだろうし、小田だからそういう言い方をするのは、自分のくだらない反発心だと思い、少し反省した。
 小田はもうやめると言っているらしい。ラジオ=解放領域、テレビ=疎外領域というのとも違うと思うんだけど、なんかやっぱりちがうと思っているのかなぁとも思った。しかし、選べる立場だろうし、どんどん注文をつけて、続けて欲しい気はする。年齢が言わせるのかもしれないけど、かろうじて歌声喫茶にもひっかかっているんでんだいで、研究会をやっている仲間で牛窓歌声喫茶(母さんが夜なべをしての歌の人がやっているもの)に歌いに逝ったりした経緯もあり、カラオケとも、ライブとも違う、いっしょに歌えるスペースができるといいんじゃないかなぁと思ってみたりもした。テレビでやれば、みんながテレビを見ながら、歌を口ずさむことができる。今はスポーツカフェみたいなものもあるわけだし、そこで集まって歌うこともできる。ネットで中継すれば、外国で歌うこともできる。「ライブ」ってものの、新しいかたちが考え直されてもいいはずだ。と言いつつ、じゃあお前はサテライト授業などに協力するかと言われれば、速攻オッケーとは言わないと思うし、小田の逡巡もわかるような気もするのだ。ただ、小田は発言できる立場だし、みんなも言うことをきくだろう。世界のいろんなところにいる人といっしょに歌えるのはわくわくすることなんじゃないだろうか。もちろん、同じことを浜田真理子に言えるかといえば、やはり逡巡することは正直に言うべきであろうけれども。