『殺人の追憶』と韓流を考える

 韓流ブームというのは、人口も多く、金も持っていて、昔そこそこブイブイゆわした世代へのしたたかなマーケットリサーチをした結果であるとか、そこに徹底される権力作用を読みとるとか、そういう見方の意味は一定あると思う。ただまあ、ひつこいようだけど、端的に言えば「冬ソナを勝負下着で見てる母」(トリンプ川柳一席)っていうようなものを肯定的にみたいということはあるし、また商業性みたいなものを肯定的に見て行きたいという気持ちがどこかにある。
 今さらというかもしれないけれども、市民社会論の展開のなかで、平田清明が−−私的所有に対比される−−「個体的所有」というカテゴリーを執拗に読み込んだ意味というものが、こういう議論を見るたびにたえず想起される。その思考は金子郁容今井賢一の提起したネットワーク市場といった枠組み、あるいは一時展開された市場社会論の議論とも連動し、素人の妄想が膨らむ。まあしかし、私がそんな話をしてもしょうがねぇよな。
 私にとって関心があるのは、韓流というよりは、地方都市の文化である。そこには明らかに東京とちがう情景があり、感情規則がある。そこに胚胎されている作品世界が、せいぜいが映画「なごり雪」的なものや、「地方アイドル」といった程度のもととしてしか結晶できず、あるいはお台場明石城における「なんでも愛媛」な愛媛地方局ネタのような痛い系のものとしてしかありえないことは、なんかなぁと思わないことはないのだ。K−POPだ、T−POPだということではなく、L−POPみたいなものがもっともっと出てきたら面白いと思うし、どっかの地方都市から「ヨンサマ」みたいなのがでてきてカツラとか入れ歯とか売り出したら笑えると思うし、お笑いなんかも注目したいのである。カンニングやヒロシは、博多の吉本から出てきたというけど、どっちかというとそこから東京に出て来てブレイクしたわけだし、いまいちガツンと来るものは感じない。
 で、『殺人の追憶』だけど、蛭子さんと、元不良番長漬物屋梅宮辰夫を足して2で割ったようなソン・ガンホを見ることで、韓国の人々のものの感じ方、考え方、そして時代の変化みたいなものを感じることができたような気がして、すごく面白かった。これを見たのは、岡山からの帰りの新幹線で『アエラ』のイチオシサスペンスという記事を読んだからだけど、サスペンスというよりはむしろこの映画に描かれている儒教道徳のなかの性愛や笑いというものがもっとも興味深かった。韓国の笑いが「ニュアンスで笑わせる」と言った吉備国際大学の留学生の話を思い出しながら、非常に興味深く見た。犯人はパイパン☆とか、課長のリバースとか、かなりアホなものもあって、とても親しみを感じた。韓流のマニアックは、「四天王」とか、まあ「御三家」時代のフレームワークでしかないことは、今のブームの底の浅さの証明であるけれども、同時にリソースフルな可能性を表すものであるように思われた。映画のなかみだけど、まあ有名な作品だし、繰り返すまでもないだろう。てめえでググレよと言いたいところだが、当方のメモとして一応アマゾンのやつを貼っておく。

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1986年ソウル近郊の農村で起こった女性の猟奇的殺人事件。特別捜査本部のトゥマン刑事はソウル市警から来たテユン刑事と組んで事件に挑むが、捜査方法の異なるふたりは対立し、何度も失敗をする。しかし、ある出来事がきっかけとなり有力容疑者が浮上する。
実際に起きた未解決事件をもとに『吠える犬は噛まない』のポン・ジュノ監督が脚色&監督した韓国の傑作サスペンス。前半は田舎刑事トゥマンの強引な捜査方法や都会派テユンとのやりとりをユーモラスに描きコミカルな味わいもあるが、どしゃぶりの雨の中、畑の一本道での犯行シーンの身の毛もよだつ恐怖、有力容疑者の尋問、決定的な証拠につまづくジレンマなど、強烈なサスペンスには目が釘付けになること必至。人間描写、伏線の張り方など、ジュノ監督のパーフェクトな演出力にはうなるばかり。またトゥマン演じるソン・ガンホ、テユン演じるキム・サギョンほか役者の演技も素晴らしい。恐怖の余韻を残すラストシーンも秀逸だ。(斎藤 香)
内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
ほえる犬は噛まない』のポン・ジュノ監督が、韓国で実際に起きた未解決連続殺人事件を基に映画化したサスペンス。1986年、ソウル近郊の農村で若い女性の惨殺死体が発見される。地元の刑事・パクとソウル市警のソ・テユンは、捜査に乗り出すのだが…。

 ラストはすごいよね。馬路。怖くはないけど。っつーか、笑いにばかり注目していたせいか、全編怖くなかった。まあしかし、ラストを見て、最初からもう一度早まわしでみた。たぶん映画館で見た人は、絶対もう一回みたいと思ったと思うよ。そして、これもいろんなひとがゆっているけど、韓国の農村がものすごく美しい映像で描かれている。人々の生活とものの感じ方、軍事政権と民主化などなど、様々な要素が詰めこまれているのに、凛と筋の通った映像化がなされている。「普通の人」という鍵語が出されつつも、マニアックな精神分析や社会科学の理屈ではなく、ラストシーンに結実する映像の力学と化学によって表現したのは、思想学問の意匠・知識を映像化して悦に入るような能のないペダントリーが五月蠅い作品などと比べると、ぜーんぜんちげーよなぁ、段違い平行棒ダヨなぁと思うた。それは、多くのファンが指摘するとおりであると思った。犯人はパイパンというガンホ節は、アレゴリーな物知り顔やフラットな心理プロファイルの前で、けつまくって、屁こいたみたいな感じで、(・∀・)イイ!!でありますた。