RUNNING

 2ちゃんでも西原理恵子は、かなり叩かれている。サイバラは「表現の自由」とかゆうもんだいは新聞社、あるいは代理人に任せ、すべてのものを敵に回しても、自分の子どもや、学校の子どもたち、とりわけ「クラスの五大バカ」にだけオトシマエがつくようにものを書き続ければいいと思っている。教育云々と言っている人々の声が届かないところにあるものを表現できる人だと思う。そういう人々に落ちこぼされている人々の心に届くまんがを書いてきた人ではないかと思っている。つまらない市民ゲームに問題が解消されてしまうのは、本当に愚にもつかないことだと思うのである。そういうことをさっきからずっと考えながら、『ぼくんち』を読んでいる。そして映画の一シーンを思い出している。一太がねえちゃんたすけてもらって、ぶっ倒れたところを、真上からとってカメラをグーーっと引く。この呼吸は素朴だが、素朴な音楽の歌詞と響きあい、強烈な印象を残す。BGMはもちろんKAJA & JAMMIN'「RUNNING」 @サントラ。

RUNNING

どいつもこいつも 同じ顔してる
お前のことだよ 生きる屍さ
なにを見ているの 腐った目をして
ドブ川に澱んだ 泡のように
化け物みたいな 街にしがみつき
生きてくなんて 俺はまっぴらさ
走り続けて 走り続けて この腕に
走り続けて 走り続けて 生きる証をつかみとる
だから 昨日も Running
だから 明日も Running
だから 今は Running
Running & Running & Running

そのうちくりぃむしちゅーのたりらリラ〜ンの時間になったのでみる。今日はまたまた小沢真珠の恋愛講座。きょうはモテキス講座だという。五秒見つめろ、タコになって相手をうねうねしろ、漢方薬をつかってアンカリングして印象づけろといった講釈を行いつつ、芸人のプライバシーばらしまくり。本日の目玉その1。くりぃむ有田とキスしますたという女性の証言。合コンでであった人。メシ喰って帰りしな車から降りたところでちゅうしますた。「ねちこかった」「 (;´Д`)ハァハァ息荒かった」「15点くらい」。サイテーとか罵倒される有田。有田ビックリ。「よく調べたね。どのルート?心当たりありまくり」。ここでフカキョンを出したら、日テレスタッフはまぢガチだと思うけどありえねーわな。つぎに、次長課長こーもとのキスネタ。「ボクは巧いッスよ。舌が踊るとゆわれます」。って馬鹿野郎!と言いたくなるような答え。VTR。モザイクかかった女性・・・は妻の雅美ですた。「モザイク入れてんぢゃねぇよ」ときれるこーもと。「酔っぱらって帰ってきたときだけします。酒臭くて最低。二点」。面目ないコーモト。この子ネタのあとに、西尾ネタも待っていました。「コクらせてふる」など暴露しつつも、西尾はニコニコしながら動じず答えて、リアクション悪すぎ。っつーかキモすわりすぎでありますた。
 にらめっ魂は、第三回というか三本撮りというか。FUJIWARA藤本、もういいよ、いらねぇよ、飽きたよなどと言われながら登場。かたやだいたひかるFUJIWARA藤本があまり馬鹿な回答とリアクションをくり返す。芸人のもとの職業はみたいな問題で「さるのけつあらうひと」などと言い、板尾も「あほやこいつ」と笑いこける。けっきょくだいたひかるは嘲笑してしまい負けた。「おかしすぎ」と皮肉なだいたひかる。その次は期待のチョップリン西野だったわけだが、ゲラの山崎隊長の攻撃力に負け、決勝は山崎とFUJIWARA藤本。ここでニューパターン登場。にらめっこの合間に、「高校んときの」という鍵語ができて、それを間合いをはかって出して、笑わせるの。FUJIWARA藤本の馬鹿が歌舞伎まくる。しかし、わけわかめな山崎隊長の攻撃力が勝り、優勝。技を整理するなりして、格闘技仕様にして、スポーツアナに技の解説などをさせるとかしたら面白いと思ったが、しかしそれでは板尾名人を中心として、ダルダルにやっている意味が失せるでしょうね。

サイバラのレゾンデートル問題に

 ひょっとしたらと思い大学に出てきた。前にコンピューターの更新があったときも予定より早くLANが開通していた。予定では金曜からなのであるけれども、今日使えるかもと思った次第。はたして開通していた。高速LANを使うことができるようになったが、どのくらい違うかは私程度の仕事ではわからないが、新鮮な気分で仕事をこなし、ネットでニュースなどをみる。総選挙がらみでは、小泉政権自民党の支持率が7〜8割になり、今度かぎりは、ぜってー選挙に行くというのが7割以上もいるらしい。敗戦の焦土に立ち復活を誓った人々に、バブル崩壊後の自らを重ねようとするムードがあるとすれば、ぬるい妥協的な議論では勝つのは困難だろうとは思う。2ちゃん的に対抗しようって言ったって、だめだろう。ネガティブキャンペーンを祭でやるとかしても、たとえばジークコイズミ、ハイルコイズミ祭とかして盛り上がりまくったとしても、かえってポジティブキャンペーンになってしまうかもしれない。新自由主義国家主義、マドンナと反共同参画などなどの亀裂がなぜか見えにくくなっているのはなぜなのかなぁ・・・などとろくに選挙にも行かないような私としては、柄にもなく政治の記事などを読んだあと、今度は里谷多英選手起訴猶予の記事をみる。モーグルで勝ったときの実況は「前畑頑張れ」に匹敵するぜということは何度話しても笑える。解説のドキュソなあんちゃんの「タエすんげぇ〜」連発には、馬路ワロタス。その後びっくりしたのが、武蔵野市の小学校で西原理恵子の『毎日かあさん』が問題になっているということだ。

 漫画「毎日かあさん」を巡り、漫画家西原理恵子さん(40)と東京・武蔵野市の間で論争が起きている。西原さんの長男(8)が通う同市立小学校が、西原さんに「学校を作品の舞台にしないでほしい」と申し入れたためだ。
・・・
 「毎日かあさん」は、武蔵野市やその周辺を連想させる街を舞台に、西原さんの長男や同年代の子ども、母親を思わせる登場人物の日常をコミカルに描いており毎日新聞で連載中。昨年、文化庁メディア芸術祭賞、今年は手塚治虫文化賞を受けた。問題となったのは、授業参観の場面。主人公の母親が、落ち着きのないわが子を含む児童5人を「クラスの五大バカ」と表現し、ユーモアを交えつつ子どもの成長を見守る内容だ。
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050831i106.htm

 議論の争点が、「表現の自由か教育的配慮か」となっている。新聞社のチェックを経て作品になっているわけであり、その枠内で描いている以上、そちらとのやりとりを経ずに親を呼び出すのは何事かみたいなことがあるんだろうし、こういう議論になるのはわからないではない。ただ、そんなきれい事のつまらない理屈の応酬で終わらせないで、議論しただけのことはあったみたいななにかが出てこないかと、期待している。期待というと誤解を招くかもしれないが、期待しているのである。自身不登校で教育評論家のバックアップなども受けながら、問題を解決し、その後美術大学に進学した経緯もある西原理恵子であり、また逝く道逝きますみたいなガチな制作姿勢を貫いてきて、そこに浮かび上がる洞察はうわべの正しさを超えた説得力のあるリアリティをつくりだしてきたわけだし、あえて描いていることの意味あいと、今日の学校の閉塞状況を照らしあわせ、なにを言い出すか楽しみである。倉田真由美なら、絶対このような問題は起こさないだろうし、起こっても上手く妥協して調整するのではないかと思う。しかし、サイバラはとことんやる人だと思う。「本町小学校の三大バカ」と言われた私としては、教育でなにが大切だというようなことをめぐる意義のある議論、論争に育っていかないかなぁと思う。個人情報にしてもなににしても、理屈は立派なのだが、なんかしっくりとこないものがあって、なんか違うんじゃないかとおもっているところがある。サイバラの作品はその辺をかゆいところに手が届くように描いていて、とてもあたたかな作品である。そのあたたかさを、表現の自由と教育的配慮というような強暴なことばのゲームに抽象化するのではなく、あたたかな内実が教育現場に実現していくようだとよいのだがなどと思う。

毎日かあさん2 お入学編

毎日かあさん2 お入学編

 しかし、文化庁メディア芸術祭賞、手塚治虫文化賞を受けたというのは、馬路かよと驚くしかありません。ただまあ、メッセージ性はともかくとして、絵のリズムや間、曲線の表現力は、他の追随を許さないのではないでしょうか。昔から余白の多い(というか塗るのがめんどうなだけのような)落書きみたいなマンガを書きつつ、線はほんとうに信じられないくらい能弁だものなぁ。寡黙で饒舌というか。というようなことを考えると、教育談義をするサイバラはみたくない気もするのではあるけれども。桜井ショーイチをマギーと言い、小島武をぢぢいと言ったサイバラはどんなことをするのだろうか。おそらくはサイバラに文句をつけているのは、「市民」なんだと思う。で、私が市民とかに多少なりともアレルギーがあるのはこういう事情であったりもする。