私の生まれた実家の近くは歓楽街である。ヌード劇場や、ピンク映画館や、連れ込み宿などなどが、昔も今も建ちならんでいる。同級生には、そういうギョーカイの子どももいるわけである。だからおよそ小学生が聞くべきでないような話題が聴けてしまうし、また見てはいけないようなものも、簡単に見られてしまったのである。また、近くの風呂屋には怪しげなギョーカイ人が、たくさんやってきていた。男湯には一列ずっとクリカラモンモンが並んでいたこともあるし、女湯には金髪染めがとれかかったストリッパーがならんでいたこともある。なかには怖い人もいたんだろうけど、ギョーカイ人はおもしろがって、われわれにあることないことを、話して聞かせた。(有名なジャズ喫茶のオヤジとかも来ていたことを知ったのはずっとあと)。低学年の頃は、真に受けて、高学年になると面白がって、ギョーカイ人のインチキ臭い話を聞いた。そして聞いた話を得意げに、次の日に学校で話すことになる。絵日記に風呂屋の「男女」(今で言うニューハーフ)のことを書いた時には、先生も苦笑していた。「将来の夢」を書く作文では、「十八歳になったら十八禁の映画を見たいです」と書いてクラス中の喝采をあびた。また、見よう見まねで、ストリップショーのまねをしていて叱られた時、「あんなところに行くのはヘンな人ばかり」と言われて、「よく知ってンじゃん」と当意即妙(?)に答えた時はボコボコに殴られた。先生はたいそう心配して、「この子は上手く育てないととんでもないことになる」と親に言ったそうである。そして、私立中学を受験するよう両親を説得した。二部屋に六人住むような家で、左官のこどもに学問なんてはいらないという祖父がいて、私立などは別世界だったのだが、学校の先生の言うことは庶民には絶対で、両親は大きな決断をすることになる。