中学・高校のこと

中学・高校はイイ思い出はあまりない。キャリアのなかで消してしまいたいことであると言っても過言ではない。そういう人は多いようで、「出身校を一番言いたくない高校日本一」などとも言われている。調査などしたわけではないだろうが、妙にリアリティがある。先生が生徒を、小者だとか、スケールが小さいだとか、罵倒するのには閉口した。そして、それがイヤになるくらいあたっているのも辛かった。大金持ちの子どもはおっとりしていた。高度成長でそこそこの小金を手にした学歴のない親の怨念と期待を背負った中流家庭の生徒は、親の皮肉な口調を生き写しにしたようだった。いずれも一流の進学校には、到底手の届かなかった奴ばかりである。そんな生徒を、学問や政治や文学に挫折した教師が教えた。授業を大きく逸脱して、物理学や、歴史学や、文学などを熱く語る教師たちの姿は、今でも眼に焼き付いている。大学院崩れの先生は、一年間ギリシャの歴史を語った。われわれは、そうした「敗残者」を皮肉な眼で見るだけで、そこからなにも学ばなかった。そして、その皮肉は無惨なくらい自分にはね返ってくるものだったように思う。つまり、教師たちは自分たちが語る真の学問に目を輝かせる一流進学校生徒を夢想し、そして今の境遇を思い、きっと臍をかんでいるはずなどといった類の皮肉である。今でこそそういう屈折は面白いと思うのだが。