新雅史『「東洋の魔女」論』

 もう随分前のことになるのですが、新雅史さんからは、『「東洋の魔女」論』をご恵投たまわりました。ありがとうございます。商店街論が大きな注目を集めたこともありますが、本書も各方面から注目され、多くの書評が出ています。うちでもご講義を担当いただき、ゼミにも熱心な受講者もたくさんいます。本をいただき開封したとき、こっちかよ、狙いすぎじゃね?と言ったら、そのうちの一人が、こちらが元々やりたかったことらしい、二冊の新書は横断面だが、一本筋が通っていることを読むべきとの指摘を受けました。指摘者は、一本筋として若者論があると仮定して、なかなかよい卒論をまとめました。「新書的なもの」について改めて学んだ。そして、講義を通して、学生によいご指導をいただいたことも感謝したいと思います。

「東洋の魔女」論 (イースト新書)

「東洋の魔女」論 (イースト新書)

アマゾンの紹介

1964年10月23日、視聴率66・8%を稼ぎ出すほどの国民が見守る中、金メダルを獲得した「東洋の魔女」。彼女たちが在籍した繊維工場は、当時多くの女性が従事した日本の基幹産業であり、戦前には『女工哀史』に象徴されるような悲惨な労働環境も抱えていたが、そこでバレーボールが行われたことの意味するものは何か。そして「東洋の魔女」が「主婦」を渇望したことの意味するものは何か。「レクリエーション」という思想からバレーボールが発明され、日本の繊維工場から「東洋の魔女」が誕生したことの歴史性を考察する。


第一部 実践としてのレクリエーション……1.都市とレクリエーション/2.工場とレクリエーション/3.レクリエーションのグローバル化と日本
第二部 歴史的必然としての「東洋の魔女」……1.バレーボールの日本的受容/2.繊維工場内の女子バレーボール/3.工場から企業のバレーボールへ/4.せめぎ合う共同性とスペクタクル化/5.「魔女」から「主婦」への旅立ち

 東京オリンピックは小学校2年生の時でした。元祖スポ根の大松監督の指導は、理屈抜きに感動した。キャプテンは、利き腕じゃないほうで箸を持ったりして訓練していたとか。最初は、体育館じゃなく室外のコートで傷だらけでやっていたとか。それより、当時話題だったのは、キャプテンが間もなく縁を得て、結婚したことだろう。それは,国民的な納得を与えた。ソ連社会主義で,ブルダコーワみたいなママさん選手もいたけど、日本は、ニチボウ貝塚の選手も、そのあとの日立武蔵の選手も25前で寿引退してしまっていた。中田久美アニキみたいなのが出てくるのは、後のことで、当時はがち大和撫子というイメージで、それが早朝からコートをぞうきんがけして、工場労働をして、練習して、深夜後片付けまでをする。三島由紀夫はそれを鋭く観察し、1人の選手の気配りをホステスに喩えたりしていた。それが、ひたすら回転レシーブでスパイクを拾いまくる。その様子は、記録映像になっていて、動画サイトなどで見ることもできる。
 これは個人的な思い出だが、本書にはもっと的確な例が効果的に引用されている。また、それを貫く歴史的な視点というのも、オーソドックスで刺激的である。実は、FD関連の指定授業にさせていただき、授業を参観したのだが、形式面を非常に重視した、オーソドックスな授業で感嘆した。そう言うめで見ると,叉味わい深い本ではないだろうか.ありがとうございました。来年度もよろしくお願いいたします。