五十嵐泰正『みんなで決めた「安心」のかたち』

 五十嵐泰正さんからは、『みんなで決めた「安心」のかたち』という本を随分前にいただきました。ありがとうございました。亜紀書房からの本の包があったときは、正直驚きました。学生時代環境問題サークルにいて、その時の友人で水俣の問題に取り組んでいた人もいるし、成田の問題に取り組んでいた人もいました。その人たちが何かをまとめたのかと思いましたが、あけてみたら五十嵐さんの本でした。

みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年

みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年

amazon内容紹介
ホットスポットで築かれた〈信頼〉◇
◇熟議と協働により再生される地産地消


東京の東側におけるカルチャーの発信地であり、ベッドタウンとしても発展を続けてきた千葉県柏市
その暮らしやすさの背景にあったのが「地産地消」でした。しかし、放射能汚染により「地」と「産」と「消」の信頼は分断されました。


しかし柏の住民と生産者、流通業者と飲食店主の四者は、自ら安心と信頼 を再構築する道を選びます。
「『安全・安心の柏産柏消』円卓会議」では、利害の異なる人たちが熟議により「安全」のルールをつくり、協働により「安心」を発信しつづけています。


一緒に土壌を測定し、野菜を測定し、売り場とリンクしたホームページで情報公開を行う……お題目で終わりがちな「地産地消」を危機のさなかから実現した柏の一年間を、ドキュメントや関係者のインタビューなどで克明に再現。


「食」「安全」「地域」「熟議」……普遍的な問題へのひとつの答えを、柏が全国に向けて投げかけます。
出版社からのコメント
貴重な試みの、貴重な記録。


消費者や生産者が対話を重ね協働した取り組みは福島にも数々あったが、記録されていない。
各地でそれぞれの記録が編まれていくきっかけに、この本はなるのではないか。
ベクミル・高松さんとのご縁で、一瞬でも柏の取り組みと接点を持てたことを嬉しく思っています。


早野龍五さん(東京大学大学院理学系研究科教授)
http://p.tl/6pbW

 いただいてすぐ、本を少しだけめくってみました。一言で言えば、3.11以降の地産地消づくりについて書いた著作で、福島論〜漂白化論の著者はじめいろいろな論客がこの本について言及しています。内容の逐一について、私があらためて説明する必要もないと思います。
 めくっていて思い出したのは、震災の時にツイッターで外食する人が少なくなったので、築地には品物が溢れてます。築地にGO!みたいなつぶやきをされているのを見つけ、拡散しなくちゃとやっていたら、築地の人に、人が押しかけています、もう売るものないっす、拡散しないでくださいみたいに言われちゃったことです。大変なことが起こっているのはもちろんだんだんわかってきていたのですが、すごく自然にいろいろなことと向かい合うことができました。
 誰でも、それを言われると妙に構えちゃったりすることばがあって、私も市民とか言われると、なんとなく構えてしまったりします。社会運動だとか、ボランティアだとかは、なんか独特のニュアンスがあって、喉に何年も引っかかっていた小骨が疼くみたいな感じがする。それで、かなり深刻な争いになったことも何度もあります。だからといって、カルチュラル・スタディーズが描いてきたような路上の実践なんかの記録映像とか見せられると、それはそれで引いちゃったりするところがあるのです。もちろん意味はわかるのですが、路上に目障りなオブジェをつくりまくったり、金爆の樽美酒のもっているみたいなふわふわ棒で警備のポリをポカスカやるようなアクションしたりみたいなのも、理屈はわかるけど、ちょっと距離をとっておきたいというか。でも、宮入恭平さんが訳したタネンバウムの実践とか、あるいは法政の田中さんが学生時代にやってたスケボーのやつとかは、わりにストンと落ちる部分もあったりするわけです。
 五十嵐さんたちの実践記録は、そういうのともまただいぶちがうわけですが、妙なこだわりを持たずに、素直に読める感じがしました。話し手の人々も、なかなかユニークな人が多く、やんちゃやってたみたいな人もいたりして。こういう著作でも、私の学生時代なんかは、社会学的介入とか、いろんな用語を用いたりするのが社会学者の悪弊などと言われていたわけですけど、この本はそういうめんどくさい自意識の数々を解毒し、新しいかたちを創造しているように思いました。五十嵐さんだったか、あるいは田中さんだったかは、忘れたのですが、カルスタのオトシマエは自分らがつけるみたいに言っていたと小耳に挟んだことがあります。おそらくはオーソドックスな研究者として、有意義な仕事をいろいろされてゆくのでしょうが、感じ取ったコアな部分も同時に育て上げて欲しいと思いました。もちろん、研究云々などよりも大事なことが、この実践は語りかけているのでしょうが。