22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語

PLAYER(初回限定生産盤)(DVD付)

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 関内キッチンでカレーを食った。やはり此処に来たら野菜カレーだと思ってそれにする。でも、カツカレーも食いたくなり、単品ダメ?と聞いたら、カツならいいというので注文した。実に美味い。また行こうかと思う。50種類はないかもしれないが、30種類くらいの野菜がもりもり入って美味しい。
 少しだけ時間ができたので、前から見ようと思っていた大林宣彦の映画をDVDで観る。「なごり雪」に続いて、世代ソング映画で、臼杵の街が描かれているということは予備知識で知っていた。宣伝映像の美しい映像は実に印象的だったし、それにもまして、ラストのエンドロールのあとが最もお気に入りの、秘密のシーンだお!みたいになっていて、どんなふうになっているか、ワクワクしながら見た。

 今作で舞台に選ばれたのは、九州の大都市・福岡と大分県津久見臼杵といった情緒あふれる街々。物語のクライマックスには臼杵市の“うすき竹宵”がフィーチャーされ、竹ぼんぼりの明かりが優しく、そして幻想的な雰囲気をかもし出す。
 主人公を演じるのは映画、テレビ、舞台など、幅広いフィールドで圧倒的な存在感を見せている筧利夫。共演に『うなぎ』『赤い橋の下のぬるい水』で各賞を受賞している演技派・清水美砂、そして脇を長門裕之南田洋子三浦友和峰岸徹、村田雄浩など、大林映画ゆかりのヴェテラン陣ががっちりと固める。
また、ヒロインとして期待の新人、鈴木聖奈と中村美玲が時代を隔てた親と子を瑞々しく演じているのも話題のひとつ。そのほか、窪塚俊介細山田隆人寺尾由布樹といった若手ものびのびとした演技で映画に活力を与えている。
監督・脚本・編集を手がけたのは、日本を代表する映像作家・大林宣彦。幻想的な映像美で二つの時代を流麗に描き分け、主人公たちの心の悲哀を見事なまでに表現。円熟の境地を見せている。


人生の岐路に立った主人公が偶然出会った女の子は、22才の頃、自分が未熟だったために別れた女性の娘だった…。


 福岡市の商社に勤める川野俊郎(筧利夫)は、1960年代生まれの44歳。社内には煮え切らない関係を続ける37歳の有美(清水美砂)がいるが、お互いに一歩を踏み出す勇気はない。ある日、ずぶ濡れで駆け込んだコンビニのレジで「22才の別れ」を口ずさむ少女、花鈴(鈴木聖奈)に出逢う。ふとしたことから親しくなった俊郎は、コンビニを辞めた花鈴にいきなり「援交して」と言われ戸惑うが、なにか不思議な縁を感じ、放っておくことができず家に招き入れる。
 しかし花鈴の身上を聞いた俊郎は信じられない事実に衝撃を受ける。花鈴はかつて22才の誕生日に別れた恋人、葉子(中村美玲)の実娘だったのだ…。
http://www.kadokawa-pictures.co.jp/official/22sai/

 映画は、円光しようぜみたいにしてはじまり、これで終わりだね俺達の円光で終わる。この「俺達」も含めて、冒頭の種なしぶどうからなんやらかんやら、やたら図式的というか、様式美というか、対置対照というか、メリハリがはっきりした脚本、演出になっている。メガネっ子がマメにメガネを外すので、わはははははだったり。これで興ざめだという人もいるのかもしれないが、おやぢ垂涎のキャスティング(昭和ガールにコデブ帽子のメガネっ娘)、上京、高度成長、豊かな社会と格差社会、なんやかんやが折り重なって、ふんでもって、あのギターイントロ聞かされたら、すべてはぶっ飛んでしまい、まちの姿だけが、切ない残像となる。
 大林監督といえば、街の風景とともに、スチーブン・キングばりのクソボライリュージョンなわけだが、今回は押さえに押さえ、最後に一箇所だけ出てくる。このアイコンタクトの炸裂感はマジすんげぇわな。村田雄浩演じる田舎の無口なおやぢが、ギター弾いたりするという人間賛歌は、おもわずクスッっていうもんであろうね。しかし、このシーンは、ジツに美しい。
 僕らの世代は、似たようなブサイクな恋愛体験を繰り返してきたひとが多いと思う。善良の狂気をがっつりつかむのは、津久見臼杵という二つの街の風景だろう。わかり易く風景説明のナレーションまで入っている。津久見はセメントとともに発展してきた工業都市で、山は白い地肌を露出している。臼杵は、かたくなに開発を拒否して、昔からの山並みと街並みが、人々の暮らしを支えている。
 さあ!オトシマエはどうつけてくれるんだと、エンドロールを見る。いきなり、大林監督がダイエットしたみたいな伊勢正三が歌をうたう。そして、なごり雪ベンガルも吹っ飛ぶような力技のシーンが。なんと、説明しちゃうんだよ。「みなさんどうでした?」とかゆっちゃうんだもの。でもって、問題のシーンだ。このシーンをみて、どう思うかは、見る人に委ねられているんだろうけど、おちょけりかえっているし、まあ一種のアラエッサッサなんだと思う。
 大林監督は、臼杵だけを美化し、津久見のまちを否定しているわけではないだろう。そして、尾道のまちも、街並み保全事業などとは別物の、人々が暮らす街として、その風景が作り出されているわけだ。鞆の浦や、大和の一件をめぐっても、いろいろな葛藤があるはずで、最後はそういった諸々が思い浮かび、考え込んでしまった。