トイレ改修

Swoon (Dig)

Swoon (Dig)

 うちのじいさんは70年以上壁を塗り続けた人だ。最近知ったのだが、年金とかはかけていなかったので、老後の面倒をみるのはけっこう大変だったみたいだ。子供がない。となると子だくさんのところからひとりもらってくる。ひとり死ぬともうひとり。みたいな。それが母親。戦後の婿不足、婚活は近所のめぼしい益荒男でまじめそうなのにメシを喰わせる。戦後復興で職人はメシにだけは困らなかった。一方丈夫たちは、メシが喰えない。くそ真面目なうちの父親は、速攻ビンゴだったらしい。お嬢、と若い頃読呼んでいたらしく、むかついたときは、これを言うと大人しくなった。これが年金がわりで、まあ私たちは保険みたいなもの。w
 金儲けの知恵はないし、左官は棟梁じゃないから、蓄財はできなかった。でも、少しずつ小金を貯めて、ネコの額みたいな大きさだが、住んでいる借地を自分のものにした。これは、大家の人が昔の職人仲間の家で、だったらと、格安で売ってもらったということもあるみたいだ。高度成長からバブルへと経過して、もっていれば大家はとんでもない金を手に入れられたはずだが、恨み言一つ言わず、今でも法要とかにうちの親は呼ばれている。どれもこれも、今では不可能なことだろう。
 そんなうちのじいさんも、高度成長の恩恵は受けていて、町内の旅行会とかでいろいろなところに行った。たけしのところの菊二郎は、照れくさくて行く前にべろんべろんに酔っぱらっていたみたいだが、うちのじいさんは日課のワンカップ一杯を朝から飲んで出かけた。
 そんなわけで、いろいろなところに行ったのに、日光には行ったことがなかった。行かしてやりたかったというのが、私たちの思いで、一度は行く予約までとってダメになった。いまだにその話はしている。なぜ日光かというと、職人だったじいさんは、左甚五郎の仕事を一度みたかったらしい。そういうこともあったのかと、そのたびに想いを新たにする。明治、大正、昭和と生きたじいさんは、例外的に幸福な人だったのか、それとも当時は多くの人が幸福に生きられたのか。病院や学校なんかは、やっぱり今のほうが分け前は多いんじゃないかと思うんだけど、どうなんだろう。なんか根底から枠組について考えてみたくなっている。自由か平等か、みたいな議論を若い人たちにふっかけたりすると、いろいろな発見があって興味深い。
 で、そのじいさんがした仕事は、近所のあちこちに残っているが、今私がいる親の家は、じいさんがした仕事があちこちにある。いい仕事だと、近所で言われていたことはよくわかる。その一つがトイレなんだが、さすがに和式はきつくなってきた親は、取り替え式の便座をつけて洋式にしていたのが、今回リフォームする。どこまで壊してしまうのかわからないが、手すりなどもつけるので、それはそれでいいんじゃないかと思っている。しかも、ウォシュレットになるらしいし。掃除の都合もあるから、樹脂の床になってしまうかもしれない。
 トイレ一つみても、考えることはいろいろある。学生たちが、そういう目線でものを考えるようになってきたと、ここ10年くらい思ってきた。ただ、最近気になるのは、そうでもない人が増えているということだ。用語を身につけ、パワーエリートみたいな語りのハビトゥスを身につけないと、気が済まない人も少なくない。やけくそで、オードリー春日のマネをして、ハビトゥース!とかやってみたくもなる。