食パン

 コンバットでヲバ芸をまとめてやっていた。CDTV仕様というか、連続で見ると実に興味深い。溌剌とした髪型と颯爽とした背広姿で、やり玉に挙がっていた三須友博のモーションはたしかにやり玉に挙がるだけのことはあり、異様なまでにひでぇものがあった。宮瀬ネタが始動したのかどうかはわからないし、芸人的には宮瀬もへったくれもないんだろうが、時々やったら箸休めになるだろう。もう一つ松岡シューゾウのぶっぱたき100連発みたいな映像が面白かった。
 岡山名物のお菓子としては、きびだんごだとか、むらすずめだとか、藤戸饅頭だとか、大手饅頭だとかが有名であるのだが、翁軒の調布もなかなかのものだ。お店のHPには、「しなやかな反物に似ていて、手触りはたよりなげなふわりと柔らかな感触、食べては全体にほの甘い優しい味。 外側の皮は、小麦粉、卵、砂糖をよく混ぜて練り、鉄板に薄く流して焼いたものです。中にはつきたての餅のように きめの細かなぎゅうひが包まれています。調布は清らかな流れにさらして作られたことから、茶席では夏の菓子とされています。」という説明がある。春巻きのようなかたちのお菓子である。
 前に、横浜中華街の菜香で飲茶をしていたときに、年配の人が入ってきて、「調布が喰えるとそこの八百屋で聞いてきたんだけど」と言った。え?と思ったら、「クレープ」とメニューにあるもので、ぷりぷりした蒸し餃子などに使うような半透明の皮で春巻き状にに海老や何やらを巻いて、蒸し上げたものだった。「中国で昔よく喰ったが、日本で喰えると聞いて、これを喰いに来た、タレが美味い」と言い、それだけ食べてでていった。このお店は、中華街で飲茶を始めたと自負するお店である。いろいろ美味しいものがたくさんあるのだが、「調布」もよくメニューを見るとそれとなくプッシュしてある。後日、食べてみたら、たしかに美味い。ぷりぷりして大新園のつけわんたんみたいでもあるが、タレは国賓菜館の水餃子のようでもある。タダもう少し、しっとり柔らかみがある。
 親が食中毒みたいになって、横浜に帰ってきた。校正のゲラをもって、ぶらぶらしながら、お茶したりして、朱筆を入れる。まさに至福の毎日である。今日は、中華街でちょっと一人でメシを喰うということになり、調布を思い出して、食べてみることにした。とりのご飯とこれを注文。たいして量があるわけではなかったが、最近胃袋が小さくなっているためか、全部食べられずにご飯は半分以上残した。そのあとちょっと時間があったので、元町のプールで4500メートル泳いだが、非常に胃が重たいものがあった。体力的にはもう少し泳げたのだが、金曜日は横浜松坂屋のモンタボーというパン屋さんで、「吟」という金曜限定の食パンを売る日なので、サクッと出た。800円以上する食パンで、たまに食べると美味い。
 昔みたいに一食一斤とか、バカなことをせず、一枚を噛みしめて食べるようになったから、高価なものも迷わず買うようになった。しっとりしていて、舌触りがよく、しかしべたべたしていなくて、噛むとさっくりかみ切れる。このパン屋さんは、食パンがうまくて、ファンがけっこう多い。「極」というのは、「吟」に近いが、厳選した水などは使用していないので、ちょっと安いが、味は似ていて、毎日売っている。デニッシュ練り込んだのもあるし、胚芽系もある。うちの親は、高島屋フォションの食パンを好んでいる。ポンパドールには、元町店限定のやつがあって、めったに買えないウチキパンには、昔ながらのごつい食パンがある。
 非常に贅沢なことになっている。ただ、その辺のパン屋だったウチキパンが名店化していることからすると、今はなくなってしまった街のパン屋さん、たとえばうちのまわりにあった日本堂だとかは、貧しい時代から職人肌の人たちがジツにうまいパンを焼いていたんだろうと思う。残っているところは、メディアに採り上げられたりしている。小学校の近くにあったコテイというパン屋さんのシベリアなども採り上げられたりした。
 その昔、パンの耳だけもらってきて空腹を満たしていたことがある。安売りをしているのを、揚げて砂糖をまぶして食べたりもした。そんな貧乏生活を経由していることもあり、私は実はパンの耳の部分が非常に好きである。というか、尾島精肉店でチャーシューを食べるときも端っこが好きで、真っ先にとる。これはつまみ食いの習慣のなごりだ。同發や楽園で巻き揚げを食べるときも、端っこを食べる。これはなんのなごりかはわからない。