ALWAYS 三丁目の夕日

 ボクが50年近く前に生まれたとき、一家はこんな場所に住んでいて、こんな生活をしていた。映画をみて「希望」という言葉を思い出した人は多いだろうし、なんかプロジェクトXにも近いうさんくささを感じないといけないと使命感のようなものをたぎらせた人もいるだろう。そういうひねくれた気持も大切だと思っている。しかし、それでも、この風景はあまりにも懐かしい。なんて懐かしいんだろう。あざといくらいに懐かしい。
 親に見せてやりたいと思った。養子に入った父親はテレビを買うときに、養父母に散在かけるかわりにメシより好きな映画は見に行かないと誓い、それを律儀にまもってきた。ばんつまの『人生劇場』を近くの東映でやったときには相当迷っていたみたいだけど。映画を見に行こうといって、はたしてゆくだろうか。行かないのじゃないかと思う。
 本当にこの映画を見たい人って、映画を見に行かないというか、見に行けない人が多いのではないか。岡山市役所の真田明彦さんが高知時代に「虹をつかむ男」のモデルとなった人といっしょに活動していたわけだけど、あの映画の山奥のたった一人の老人のために映画観の主人が映写機もって車で映画をみせにいったという話は実話らしい。この映画はロングランになるかもしれないし、非常に儲かるんだろうけど、この映画を見たい人たちにどうしてたらみてもらえるのだろうか。できればテレビでやって欲しい気もする。それも、見のがさないように番組宣伝ぬかりなくやり、新聞広告もうって。グラスルーツでできないことを、テレビはできる。
 しかし、堤真一というキャスティングはアレかと思ったんだけど、実にいいものがある。単なる懐かしさへの感傷ではなく、それなりの戯画のようなものすらみえた気がした。