『ユリイカ 特集:ブログ作法』(青土社)

 今日は、研究会で国立に行った。朝から雨でうざったいなぁと思いつつ、報告もあたっているのでばっくれるわけにもゆかず、出かけた。国立駅に着いたら、袴すがたの学生さんが多数いた。今日は母校の卒業式なのであった。非常になつかしかった。
 実は、私は自分の卒業式に出ていない。留年してたから、自分が卒業する時には、かなり出にくい雰囲気になっていたこともある。しかし、なんとなくつっぱっていたのである。卒業式の日には毎年かならず学校には来ていた。そして、サークルの先輩たちに、サークルのTシャツを贈呈するのが習わしだった。環境問題の研究会で、なんでというかんじなのであるけれども、コンパや先輩後輩関係は完璧に体育会系だったのである。黄色いTシャツに、アイロンプリントではなく手縫いの刺繍でロゴを入れたので、非常に高価なものになった。しかし、毎年お金を出しあい、プレゼントした。私もいただいて、大事にしまってある。私が出ていた頃、卒業式に雨だったことはない。また、今勤務する女子大の卒業式は、雨になったことがないらしい。今日はあいにくの雨で気の毒だなぁと思った。
 駅に向かう学生たちの会話が聞こえた。「卒論Aは嬉しいよな」。時代はかわったものだ。私たちの頃は、誰でもAだった。私の一週間で書いたのもAだったし、同級生の序論、一章、結論というめちゃくちゃな卒論もAだったし、日本思想史のゼミに提出したマクロ経済学の卒論もAだったし、教員提出だったから白紙を製本して先生に題名を見せてAだったというウワサもあったし、出さないでAというのもあったらしい。まあでも、そんなのは昔も社会学部だけだったのかな。w 
 それはともかくとして、本日ようやく。『ユリイカ』のブログの特集号を入手した。研究会に行く前に、吉祥寺の本屋で買い、行き帰りの電車のなかでめくった。よく見るブログを書いている人々が、対談をしたり、原稿を寄稿したりしている。これだけ面識がある人だとかが出てくると、なんかうれしくなってきたりもする。学生に雑誌見せて、「おれさー、この人知ってるんだぜ」とか自慢したい気分だな。まさか宮台真司さんに名刺をもらって授業で自慢した時みたいに、2ちゃんに実名でさらされることもあるまい。

ユリイカ2005年4月号 特集=ブログ作法 あるいはweblog戦記

ユリイカ2005年4月号 特集=ブログ作法 あるいはweblog戦記

 対談を読んでも、論考を読んでも、私はついつい裏話、うわさ話的なものだけに終始してしまいがちである。しかし、この特集は、はてな、みくしなど、私が使っているものをはじめとして、いろんなブログの使い方が、分類して紹介してあり、とてもタメになった。原稿の楽屋裏、原稿にしきれなかった論点の議論などなど。単一自著専用のブログの立ち上げをした赤川学さんの話などは、社会学教育というか、教科書出版社などは絶対チェックすべきことだろう。事例、サイドテキスト、視聴覚教材などの実例、教案などを蓄積したり、あるいはそこへ質問をしたり、いろんな使い方ができる。しかしこの場合は、フローター型の掲示板の方がいいのかなぁとか、考えるだけで楽しい。
 対談は、裏話も満載で、私的にはそれが一番面白かった。○○さんは、みくしにはまりすぎて、はてなの更新がなくなった。××さんもそう。え!××さんみくしさんかしているの?うん。あ、言っちゃった。w 逆に△△さんは、はてなを愛している。なんでなのかねぇ。知りませんよ。w・・・こんな調子。あと、みくしの足あとがキモイというのがあった。わたしはたいして気にならないが、とんでもない人が踏んでいたりすると、ついつい大騒ぎする。先日も、ヲタキングさまが踏んでいらっしゃって、みんなに言いふらしてしまったりしました。
 滝沢オフでご一緒した、日本のドゥルーズ=ガタリか、はたまた第二の江守徹中尾彬かというような心脳様お二人(id:clinamenid:yakumoizuru)の原稿は、人文系に限定されるが、丁寧にブログのタイプを分類していたのは、なかなか有益だった。日曜社会学id:contractioさんのブログについて、次のように書いてあったのには、腹を抱えて笑いますた。

微に入り細を穿つ文献読解から「厨房」のお世話まで

 あとやはり、小谷野敦氏の「ミクシィは『出会い系』か?」は、ビンビンに琴線に触れるものがある。ざっとながめて、何度もここを読んでいる。みくしぃなどをめぐる悪戦苦闘ぶりには、シャレにならないものがあるけれども、語り口などは野太い作品性がビシッと決まっていると思う。
 詩やエッセイも読んだが、竹西寛子「三月の雪」が入っていたのは、大きな収穫だったように思う。