激務と教養と

 最初に岡山でやったゼミの受講者が、東京に就職していて、SEをやっていたのだけれども、その椰子が名古屋に転勤ということになり、会食をすることになった。好景気の某大メーカーがらみの仕事をサポートする遊軍に選ばれたというカンジみたいだ。男も女も関係ない平等な職場だが、ともかく激務だと言っていた。午前様あたりまえの、六時半起き、でもって睡眠が2〜3時間ということもあるようだ。繁忙期には土日も顧客のところに行くらしい。15年くらい勤務していることになるが、激務で辞めてゆく人もいるそうだ。
 受講者のなかでは、一番ちんたらした椰子だったが、根性は一番すわっていたかもしれないという話になった。なにせ、串揚げ30本早食いにただ一人チャレンジし、モチ、チーズ、牡蠣、タマネギなどあっちっち具と、ニンニクなどのゲロゲロ具の波状攻撃を受けつつも、ウミガメの産卵のように血の涙を流し、カメの交尾のようにクァークァーとペーソスあふれる声を出しながら、残り二本までたどり着くも、香りの強い具を食べた瞬間トイレに駆け込みバーストアウトリバース。しかーし、挑発してカレー喰おうやとゆったらついてきて店で一番辛いクレージーホットを喰って魅せ、みんなの度肝を抜いたという椰子なのだ。これは普通はやめた方がいいですよ。なにせこの椰子は、車に接触され、バイクが15メートルぐらいぶっ飛んで大破しつつも、コロコロ転がりかすり傷程度だったため、最初は警察などにキツイ扱いを受けたというほどの不死身な椰子ですから。それでも、この早食いで熱を出しましたし、口の中はやけどしてましたから。
 で、今日ですが、吉祥寺で集まり、永福町の大勝軒でラーメンを喰って、阿佐ヶ谷まで歩き、ファミレスでお茶をしたあと、また荻窪まで歩き、そこから電車で吉祥寺へ戻り、夕食会となった。夕食は焼き肉。岡山時代も、みんなで城下のマンボとかよく逝った。有名な炭火焼き焼き肉の店。上品な椰子らがよく焼いて喰おうとしているのを、SE氏と私は「生焼けが美味いンぢゃい」とかわめいて、最初はロース、カルビなどを食していた。こうなるとお互いに気合いが入ってくる。みんなで何回かマンボに通ううちにエスカレートしてきた。みんながビビっているのを尻目に、センマイ、ホルモンなども気合いでレアで喰いまくり、ゲロゲロにはならなかったが、ゲリゲリになった。
 ほんとうに馬鹿なことをしたなぁというのが、常にくり返される思い出話であるけれども、それ以上に文芸書や専門書をいまだによく読んでいて、音楽を聴き、スポーツを見、映画やビデオをよく見ていて、かつビジネスマンらしく経済にも明るくなっている。しかし、会社の激務をこなしながらいつ本を読んでいるのだろうと思ったら、休日、寝るちょっと前の時間、電車のなかなど様々な工夫があるらしい。ひとそれぞれに工夫しながら本を読んでいる。こういう人たちが若い頃に、馬鹿やるだけじゃなくて、私のアパートで、テレビを見ながらいろんな話をしたことは、当時は時間の浪費だけだと思っていたけれども、そうとばかり言えないと思った。『どくとるマンボウ青春記』を読んで以来旧制高校の教師になりたかったという気持ちはあるし、大学院に進学したことも、なんか大学で集まってワイワイがやがやするのが好きだったからだけとも言える。もちろん放縦な自分の学問を反省しないわけではないけれども、一つの初心を確認できたことは、貴重な機会であった。