ブログと自意識

 何日か前にブログをさらっと読みしていたら、id:Albini さんが、社会学のことはブログに書かないみたいなことをおっしゃっていた。大学院くらいになり、自分で論文を書くようになれば別だけど、そうじゃないならブログに書くのはなまじ満足手応えがあるだけに怖いみたいなことなのかなぁ、と思った。前に、三浦展氏とのやりとりにおいて、ブログに書いて満足していないで、ちゃんと仕事をつくれみたいな話になり、それはそれでなるほどと思う部分もあって、少しなんか書いたことを思いだした。これに対し、id:using_pleasure さんが批判的なコメントを下さり、それはまたそれでなるほどと思った。そして今回も、using_pleasureさんがAlbiniさんの記事にコメントをされ、トラックバックされている。
 もう一つ、思い出したのは、ソキウスさんが、ブログをはじめられ、社会学者のブログポータルみたいなのをつくる試行を行っていたが、いずれもやめてしまったことである。そのとき「ブログ脳」ということをおっしゃっていて、つねにネタ探しをしている自分に気づいて、イカンと思ったみたいなことをおっしゃっていたように思う。
 まあしかし、表現と自意識、ネタと表現というのは、文学、とりわけ日本の小説などのなかでは、くり返し論じられてきた根本問題だ。そして、日本では、私小説という問題がある。ブログのなかで自分を表現するのは、自分語りとしてどのような意味があるか、そんなことを考えるのも私社会学の課題となりうるのかなぁと漠然と思った。言いたいことは意見というよりは、考える材料をいただいたお礼であるのかもしれない。